野球のバッターの実力は素振りの回数で決まるのだと私は思う。
例えば、イチローが一番優秀なバッターだとすれば、イチローは一番多く素振りをやったのだ。
ピッチングにおいても、バッターの素振りのようなシャドー・ピッチングというものがあるらしいが、良いピッチャーは、このシャドー・ピッチングかどうかは分からないが、やはり、バッターの素振りに相当するものがあるのだと思う。
いや、実は、いかなることにおいても、バッターの素振りみたいなものがあり、実戦的な能力の高さはそれで決まるのだと思う。
ある高収益の優良な会社で、そこの優れた経営者と他の役員との力の差は絶対的だったが、役員達にこんなことを言っていたのを憶えている。
「俺とお前達で元々の能力の差はない。あるのは素振りの回数だけだ」
この経営者の言う素振りの具体的な意味は不明だが、やはり、経営においても、実力は何かの反復にあるということと思う。
そして、それ自体は難しいことではないのだと思う。

梶原一騎氏原作のスポ根、空手漫画は、しばしば妄想の領域に入るほど想像が飛躍し過ぎる傾向はあるが、ある空手漫画で、
「空手に王道なし。普段の練習の突きや蹴りの本数で決まる」
とよく書かれているのは色物の中の真理だと思う。梶原作品には、そういった点があるから、感心しない部分も少なくないながら時代を動かすほどの力があるのだと思う。

コンピュータープログラミングの場合は、プログラミングそのものが素振りのようなものだ。
まず、プログラミングには、毎回書くようなお決まりのプログラムは結構多い。
また、実際のプログラミングでは試行錯誤は少なくはなく、同じようなコードを何度も書くことがある。
それらはまさに素振りのようだ。
そして、特に、修行中は、優れたプログラム・コードを書き写すこと(業界では「写経」と呼んでいる)を多く行った者が良いプログラマーになる。
また、少々キャリアを積んでも、「プログラム書法」や「プログラム作法」などと題された、模範的なプログラミングが書かれた本を読んだり、それを打ち込んだりするのである。
世の中には、どうしてもプログラミングをマスター出来ない人もいるようだが、単に、外国語と同じで、パターン通りに使った回数、即ち、素振りの回数が少なければ力がつかないだけである。

ある世界的作家は、作家になる前、暇を見つけてはヘミングウェイなどの大作家の作品を、ただひたすらタイピングしたらしい。
まさに、素振りで作家になったのだが、これこそが正しい作家になる方法のように思える。

そして、最も重要なことは、この世界は、何等かのシステムで法則通りに動いており、昔は特に仏教が、そして、現代では、量子科学やコンピューター科学がそれを研究し、仏教においてはほぼノウハウが完成していたのだと思われる。
その成果によれば、この世界を制御する力も、何らかの素振りで決まるのだと思う。
そして、それは言葉の反復で成される。
言葉の反復自体が直接、世界を創造したり動かしたりするというのではないかもしれないが、重要な因にはなっている。
そして、言葉の種類ごとに、創造の成され方や動かし方に違いはあるのかもしれないが、良い言葉は良い反応を見るものである。
このあたり、体系的にまとめると、かなりのリファレンスが出来てしまうのかもしれないが、とりあえず、寿命の短い我々は、神の名やマントラとして伝えられる言葉を使えば良いのだということは間違いないと思う。
そんなわけで、優れた野球選手が誰よりも、好きで素振りをするように、我々も、心地よく感じる神の名やマントラを数多く唱えることが勧められる。
尚、参考までに言うと、聖書や仏典は、それらを読むことに素振りの効果があるよう仕組まれていて、繰り返し読むほど世界の王に近付く。特に、仏典はそうであることが、割と分かり易いと思う。
とはいえ、普通の人には、神仏の名やマントラを唱える方が簡単なのである。








  
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