人間の能力というのは、IQ(知能指数)と人間関係力だけと言って、だいたい合っていると思う。
IQは説明しなくても良いだろうが、人間関係力は、一般的には、人付き合いがうまいとか、協調性があることで分かると思う。
そこで、「私は(あるいは私の子供は)IQは今一つだが、そこは人間関係力でカバーしよう」などと言ったり考えたりするかもしれないが、とんでもない話だ。
人間関係力を上げるより、IQを上げる方が、よっぽど簡単なのである。
人間関係力がある者は、相手の気持ちが分かり、思いやりがあり、押しと引き(主張と受容)のバランスが良く、聞き上手だ。
つまり、人間関係力は高いIQを基盤にし、その上に構築する非常に高度な能力だ。

これらから考えれば、人間の能力をもっと簡単に言えば、IQと思いやりと言える。
IQが高ければ、思いやりは優れた人間関係力になる。
しかし、IQが低ければ、思いやりが害悪になる場合が多い。
もちろん、飢えた人にパンを与えるのにIQは要らない場合が多いが、それは極端な場合だし、それすら、賢く与えないと無駄な施しになる場合が多い。
よって、まずは、IQを高めることが大切だ。
(尚、このような話でIQの細かい定義を持ち出し、話をややこしくしたがるのはIQが低い者と決まっているので、そのような注意は省く)

頭が悪いとは、コンピューターで言えば、バックグラウンドで余分なプログラムが動いている状態で、その余分なプログラムが大きかったり、数が多いほどコンピューターの性能が落ちる。
人間の頭の場合、余分なプログラムに相当する余分な思考は、頭の中のおしゃべりとして検出されるが、それは、普通に思われるよりはるかに多い。
それは、思考能力を奪うと同時に、脳のエネルギーをも奪ってしまう。
また、頭の働きが良いというのは、脳の各部がきれいに同調しているということで、それは、脳各部の脳波として検出される。
この両方を解決するのは、短い言葉の反復で、その言葉を、宗教用語を借りてマントラ(真言)としておく。
良いマントラは、頭の中の余計なおしゃべりを誘発せず、なおかつ、脳各部から出る脳波をきれいに同調させるものでないといけない。
良いマントラは、1つには、唱える人にとって、何の意味もない言葉だ。
有名なTM(超越瞑想)は、そのようなマントラを使うとしている。
TMでは、一応、各自に相応しいマントラを与えるとしているが、それが本当かどうかは知らないし、本当だとしても、別に難しいことではない。
全ての人に共通な「何の意味もないマントラ」としては「ナ・ダーム」というものがある。
他に良い言葉としては、神や仏の名、あるいは、宗教的な短いマントラで、これは最上の効果がある。
なぜなら、神や仏の名や宗教的なマントラは脳に良いパルス信号を送るように作られているからで、それは科学的な研究で解明され始めていると思う。
これ(神の名やマントラを唱えること)だけが自分の仕事と心得、常に唱えれば、IQを超えた知性を得られると思う。

皮肉なのは、一般に言う学習や頭の訓練が、特に、近年のものは歪な知性の発達を起こさせ、結果としては馬鹿になり、最悪の馬鹿になってしまうことも多い。
IQが高くなれば、自然に自分に向いたものに興味が湧き、特に学習とか訓練という意識を持たなくても、容易く楽しく習得するのである。
学びたくなければ、学ばなければ良い。
決して極端ではなく、文字を覚えるのが嫌なら覚えなくて良い。まあ、心配しなくても、いずれ、憶えたくなると思うがね。
尚、唱えるべき神や仏の名もだが、良いマントラを集めたような本は稀で、優れた本の中にさりげなく書かれていて、読む者が読めば、その言葉に気付かされる場合が多い。
だから、不意に優れた言葉が与えられた者は幸運であるが、唱えるべき言葉なら沢山あり、別に困ることはないだろう。








  
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