この世界が、映画『マトリクス』や、小説・アニメ『ソードアート・オンライン』のような、作り物の幻のような世界であることは間違いない。
科学的には、こんな世界をシミュレーテッド・リアリティと言い、おそらく、超高度なコンピューターが作り出している見かけ上の世界である。
なぜ、この世界がシミュレーテッド・リアリティであるかというと、私の場合、あり得ない奇跡的な偶然が、あまりに頻繁に起こっているのを見続けて、いくら何でも気付かざるを得なかった。
書籍『マスターの教え』で、「本当は誰でも、そんなこと(奇跡的な偶然など)が度々起こっているはず」とあった通り、私以外の誰でも、同じようなものを見たり、体験しているのだと思う。だが、この本でマスターが言う通り、それを忘れてしまう人が多いのだ。

そして、人生とか運命の大枠は、初めから決められていると思って間違いない。
当たる占いはやはり当たるし、占うまでもなく、具体的にというのではないが、あらゆる人間の運命の雰囲気は、だいたい感じるのである。簡単に言えば、特別な運命か、平凡な運命かというものである。
名前や、あるいは、生年月日が同じでも、全く同じ運命になるわけではないが、そんな人間同士は、性質的にはどこか似ていたり、運命の傾向も似ていると思える。
そして、より良い人生・・・苦痛が少なく、楽しい人生にするには、あらかじめ用意された運命に逆らわず、運命の波に乗ることが一番だろう。
とりあえずはサラリーマンになる運命にあれば、スポーツ選手や歌手になろうとせず、サラリーマンになるのが良いのである。
逆に、サラリーマンになることを、どうしても心が納得せず、ミュージシャンになるのが自然に思えるなら、ミュージシャンを目指すべきだろう。
ただし、本当にそれを自然に感じる場合だけで、そうであるなら、困難なはずのミュージシャンへの道にも、不思議な自信があって、それほど不安は感じないと思う。
私が、成功した社長達に、「独立の際、不安がなかったか?」と聞いた時も、全員が「ノー」と答えたのであるが、それと同じだ。
ミュージシャンになる運命であるなら、どれほど長時間、演奏をしても歌っても疲れないし、自分の演奏や歌が受けても受けなくても、平気でいられると思う。
何より、演奏したり歌ったりが楽しくて仕方がないはずだ。
ある世界的ミュージシャンがこう言っていた。
「街角でハーモニカを吹いてさえいれば満足出来る人間じゃなきゃ、ミュージシャンになんかなれないのさ」

では、どうすればうまく運命の波に乗れるかというと、「発想即行動」で、あまり頭であれこれ考えないことだ。
もっとも、「酒が飲みたいと思うから、即、飲む」とか「こいつが気に入らないから、即、殴る」というのは、自己コントロールを失ってしまっているだけで、もうかなりヤバいのである(笑)。
だから、気の毒なのは、自己コントロール(自己制約)が出来ない親に育てられた子供だ。
まあ、そんな親に育てられるのも、あらかじめ決められた運命なのであり、そんな子供が、自分を厳しく律することを覚えれば、偉大な人間になる可能性が高い。
しかし、そうでなければ(その子供が自分を律しないままでいれば)、ロクでもない親に育てられたらロクでもない人間になるというだけのことである。まあ、そんな子供でも、それなりの人間に出会い、自分を考え直す機会は必ず与えられるので、そのチャンスを生かすことが出来るかどうかで運命は決まる。

宗教とか芸術は、自分の運命を感じる感性を磨くために生まれた。
もっと詳しく言えば、まず、宗教が出来たが、宗教は、形骸化・権威化し易く、そんな宗教では、人間の深い感性を高めることは出来ない。そこで、宗教から芸術が生まれ、今度は、芸術が人間の感性を高める役割を果たしている。
まあ、その芸術も、かなり、形骸化・権威化しているので、気を付けるべきであるが・・・
そこで、形骸化・権威化していない宗教を信仰するか、優れた芸術に親しむことは大切・・・というか、ぶっちゃけ「お得」なのである(笑)。
それで、自分の運命を見極め、それに逆らわずに生きることが出来、結果、楽しい人生を送れるのだからだ。
また、真摯にやるなら、占いも良いと思う。
私の場合、阿弥陀真言を唱えている時期の運が非常に良いのも頷けるので、今後は、熱心に唱えようと思う。
興味があれば、皆さんも、自分の干支の十三仏の真言を唱えると良い。「十三仏」で検索して、自分の守本尊を知り、さらにその仏・菩薩名で検索して、その真言を知ると良い。








  
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