時々、親切からなのかもしれないが、このブログのコメントで、
「Kayさん(筆者のこと)は、いろいろやり過ぎて迷っているので、念仏だけにすればいいですよ」
「Kayさんは『神様の奇跡が起こる』だけにしてはどうですか?」
あるいは、
「なんで『神様の奇跡が起こる』だけで良いと言いながら、別のことを書くのですか?無責任だ」
と怒りのコメントをしてくる方もいる。
そういったコメントは公開していない。
まあ、ごく稀な人達と思うが、一応、このことについて書いておこうと思う。

世界的な数学者の岡潔氏は、確かに、毎朝1時間、熱心に念仏を唱えておられたらしい。
しかし、彼は、『正法眼蔵』を座右の書とし、20年間、熱心に読んで、ある時、天啓を得て、その内容が全て分かったという。
そして、彼は、その他にも、あらゆることをやっておられたはずなのだ。

一休は、晩年、確かに、念仏に転向したが、臨済宗の名僧でもあり続けたのである。

度々取り上げる、「神様の奇跡が起こる」と1日中唱え、1憶円を2回当て、ローマ法王に謁見したホームレスだって、知られていないだけで、他にもいろいろやっていたはずなのだ。人間なんだから。
例えば、他のホームレスの手助けをしたり、猫や鳩に餌をやったり(公園などでやると怒られるが)、自分とは関係ない場所でもゴミ掃除をしたりとか、あるいは、それこそ念仏を唱えたりもしたかもしれない。
しかし、「神様の奇跡が起こる」を、1日1万回やそこらは唱えていたのである。
それだけやっていれば、自ずと、何か良いこともしてしまうはずである。そう考えるのが自然ではないか?

史上最高のプロレスラー、ルー・テーズは、確かに、「技を1つと言われたら、ダブル・リストロック」と自伝に書いているが、彼は多才な技を達人レベルに磨いていたのである。彼の代名詞でもあったバックドロップという大技は、確かにテレビ用の見栄えの良い技として用意したのだろうが、それでも、あのスピード、格好良さは、大変な練習の賜物であることが分かる。
とはいえ、彼が心の支えとしていた技は「いつでも相手の腕を折れる」ダブル・リストロックなのだ。
柔道の木村政彦で言えば、エリオ・グレイシーに勝ったキムラロック(腕がらみ。テーズのダブル・リストロックと同じ技)が切り札だったが、必殺技は高速大外刈りで、また、彼は、あらゆる技が超一流だったのだ。

1つの技、1つの能力を磨き抜いていれば、自ずと、他のことにも手が広がるし、沢山の力がつくのである。
ただし、まずは、1つのことをしっかりやらなければならない。
1つのことをしっかりやらないのに、ふらふらと別のことをやる者は、確かに、何も成しえない。
また、せっかく続けていたことを、長くやめていたが、また戻ってくる場合や、もうそのことはやめて別のことをやるということもあるだろう。
そして、1つのことを長くやっていたら、ものごとの原理が分かって来て、何をやって何をやめるかを良い形で自由にやれるようになる。
それまでは、1つのことを磨き抜くべきであろう。
私は、一頃は、プログラミング言語のC言語の名人だったが、やがて、広く「MAGIC(データベースシステム開発ツール)のKay」と知られるようになり、その間にも、JavaScript、VisualStudio、Smalltalk、PHP、Perl、Pythonその他をやり、ある時期からはVBAを熱心にやっているが、まだまだ他のものにも手を出している。
で、プログラミングに関して、何が私の核かと言うと、実は、これに関しては分からない。ザッカーバーグのPHPや、ビル・ゲイツのBASICのように、はっきりしたものがあれば良かったかもしれないが、彼らも、それは若い頃のことで、彼ら同様、私もプログラミングという枠を超えたので、それで良いと思う。

私は、1日1時間は『願いをかなえるお清めCDブック』のCDを聴いているし(『和の成功法則』のものでも良い)、毎日ではないが『バガヴァッド・ギーター』や『福音書』を読むし、他にも、いろんなものを読む。
だが、最も基本は、社会人になった時から続けている真言である。
運動で言えば、腕振り運動と四股は欠かさないが、腕立て伏せやスクワットも、毎日、少しはやるし、他の運動も必ず毎日やっている。しかし、運動に関しては、核となるのは、腕振り運動と四股である。

確かに、私も基本がぐらついていることがあり、それに気付いたら、基本をしっかりやろうと思うことはある。
そして、根本的には、「馬鹿の1つ覚え」を信条としており、「これだけあれば、他は捨てて良い」と思っている。
しかし、自分の好きに捨てたりは出来ないものであるし、無理に捨てなくて良い。
だが、核の1つがしっかりしていないなら、お話にならない。
そんな者ほど、「うまくいきませんが、念仏は唱えています」といった、わけの分からないコメントをする。
念仏をしっかり唱えて、うまくいかないはずがない。
それは、唱え方が足りないのである。








  
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