本当に素晴らしい情報、知識、知恵は注目されないものである。
世間の支持を集めるのは、下らない情報、知識、猿知恵である。
だから、イエスも黒住宗忠も、話を聞いてもらうためには、病気を治す必要があった。話だけでは、どれほど優れた、そして、単純な真理であっても、誰も聞きたがらないからである。
今回は、そんな話で、人類最高の知恵である。
感情を悪だと言う人がいる。
スター・トレックの、あのミスター・スポックすら、そう言っていた。
「女は感情的になるから駄目なんだ」というのは、今では女性蔑視として、言えば非難されるが、「感情が駄目」という部分は肯定的に捉えられている。
だが、最高の知恵である直観は、感情としてやってくるのである。
沈着冷静と無感情は全く違い、これを混同している者は愚か者である。
「感情は駄目」というのは、一応は、お釈迦様によって否定されているらしい。
釈迦は、感情を矢に喩え、聖者は第二の矢を受けないのだと言う。
「美しい」とか「嫌だ」といった感情は、聖者も凡人と変わらず持っている。その感情が第一の矢だ。
しかし、「美しい」と感じたら、「それを自分のものにしたい」と思い、「嫌だ」と感じたら、それを自分の目の前から消したいと思うことを、釈迦は第二の矢と呼んだ。
釈迦もイエスも、たとえ話の名人だと言われるが、この説明はやけに下手だ。
おそらく、釈迦が直接言ったのではなく、後に別の者が、こんな役にも立たないことを言い、それが経典に入れられてしまったのだろう。
いや、そうではなく、昔の人には、そんな言い方でないといけなかったのかもしれない。
だが、いずれにしろ、今の我々に相応しい説明ではない。
本物の知恵ある人は、感情があるように見えない面もあることは確かだ。
だが、その理由は、彼らの感情が一瞬だからだ。
感情の消費期限は短く、すぐに腐ってしまうのに、愚かな人間は、それをいつまでも味わい中毒を起こすのだ。
「感動に浸っています」って、アホである(笑)。
感動したら、それをすぐに捨てないといけない。
だから、伊達政宗の師であった虎哉宗乙(こさいそういつ)は、「悲しい時に笑い、嬉しい時に泣け」と教えたらしい。
だが、これも、拙い伝えられ方をされたのだろう。
「悲しいのは仕方がないが、すぐに笑わないといけない。」
「嬉しいのは結構だが、すぐに忘れないといけない。」
そんなことを表現したのだろうが、感情を感情で消そうとすれば、「悲しい時に笑い、そして、泣き、そして、笑い、そして、泣き・・・」と果てしない感情が必要になる。
釈迦の従弟のアーナンダは16歳の美少女と結婚することになっており、それはそれで良かったのだが、アーナンダが(無理もない気もするが)、それをずっと喜んでいたからいけなかった。
そこで、釈迦は、アーナンダの花嫁の百万倍美しい天女を見せて、アーナンダに花嫁のことを忘れさせるしかなかったのだ。
感情はとても良いもので、現れた瞬間はプラス作用を起こす高い波動を放っている。
しかし、それは、人間の心の中ではすぐにマイナス作用を起こす低い波動を出すようになる。
言ってみれば、やって来た瞬間は妙薬なのに、すぐに毒に変わるようなものだ。
だが、凡夫は、毒であることに気付かず、いつまでも服用してしまうのである。
感情をすぐに手放す賢い人の特徴は「ものにこだわらない」である。この特徴を持つ者は、子供でも力があるものである。
世間の支持を集めるのは、下らない情報、知識、猿知恵である。
だから、イエスも黒住宗忠も、話を聞いてもらうためには、病気を治す必要があった。話だけでは、どれほど優れた、そして、単純な真理であっても、誰も聞きたがらないからである。
今回は、そんな話で、人類最高の知恵である。
感情を悪だと言う人がいる。
スター・トレックの、あのミスター・スポックすら、そう言っていた。
「女は感情的になるから駄目なんだ」というのは、今では女性蔑視として、言えば非難されるが、「感情が駄目」という部分は肯定的に捉えられている。
だが、最高の知恵である直観は、感情としてやってくるのである。
沈着冷静と無感情は全く違い、これを混同している者は愚か者である。
「感情は駄目」というのは、一応は、お釈迦様によって否定されているらしい。
釈迦は、感情を矢に喩え、聖者は第二の矢を受けないのだと言う。
「美しい」とか「嫌だ」といった感情は、聖者も凡人と変わらず持っている。その感情が第一の矢だ。
しかし、「美しい」と感じたら、「それを自分のものにしたい」と思い、「嫌だ」と感じたら、それを自分の目の前から消したいと思うことを、釈迦は第二の矢と呼んだ。
釈迦もイエスも、たとえ話の名人だと言われるが、この説明はやけに下手だ。
おそらく、釈迦が直接言ったのではなく、後に別の者が、こんな役にも立たないことを言い、それが経典に入れられてしまったのだろう。
いや、そうではなく、昔の人には、そんな言い方でないといけなかったのかもしれない。
だが、いずれにしろ、今の我々に相応しい説明ではない。
本物の知恵ある人は、感情があるように見えない面もあることは確かだ。
だが、その理由は、彼らの感情が一瞬だからだ。
感情の消費期限は短く、すぐに腐ってしまうのに、愚かな人間は、それをいつまでも味わい中毒を起こすのだ。
「感動に浸っています」って、アホである(笑)。
感動したら、それをすぐに捨てないといけない。
だから、伊達政宗の師であった虎哉宗乙(こさいそういつ)は、「悲しい時に笑い、嬉しい時に泣け」と教えたらしい。
だが、これも、拙い伝えられ方をされたのだろう。
「悲しいのは仕方がないが、すぐに笑わないといけない。」
「嬉しいのは結構だが、すぐに忘れないといけない。」
そんなことを表現したのだろうが、感情を感情で消そうとすれば、「悲しい時に笑い、そして、泣き、そして、笑い、そして、泣き・・・」と果てしない感情が必要になる。
釈迦の従弟のアーナンダは16歳の美少女と結婚することになっており、それはそれで良かったのだが、アーナンダが(無理もない気もするが)、それをずっと喜んでいたからいけなかった。
そこで、釈迦は、アーナンダの花嫁の百万倍美しい天女を見せて、アーナンダに花嫁のことを忘れさせるしかなかったのだ。
感情はとても良いもので、現れた瞬間はプラス作用を起こす高い波動を放っている。
しかし、それは、人間の心の中ではすぐにマイナス作用を起こす低い波動を出すようになる。
言ってみれば、やって来た瞬間は妙薬なのに、すぐに毒に変わるようなものだ。
だが、凡夫は、毒であることに気付かず、いつまでも服用してしまうのである。
感情をすぐに手放す賢い人の特徴は「ものにこだわらない」である。この特徴を持つ者は、子供でも力があるものである。
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