「好きなことをしなければ成功しない」とよく言うだろう。
あるいは、「好きなことを見つけなさい」とも、よく言われる。
しかし、それは、天才児へのアドバイスだ。
「俺はロックが好きだ」とか言って、下手なギターを弾き、聞き苦しい歌を歌っても、それで食べていける可能性はほぼないし、「好きなことをやれ」を信じて、それをいつまでもやっていたら、人生を棒に振りかねない。

もう1つ、「好き」に突き進んではいけない理由がある。
長谷敏司さんの小説およびそれをかなり忠実にアニメ化した作品『BEATLESS(ビートレス)』で、主人公、遠藤アラト(17)の友人の村主ケンゴの妹で、アラトの妹のユカ(14)の友人でもある少女、村主オーリガ(15)が、「人類はエロとグルメへの執念で生き抜いてきたのよ」と、ユカに半ば冗談、半ば真剣に言うが、実際、人間が「好き」なものと言えば、根本的にはエロとグルメである。
村主オーリガは、グルメはともかく、およそ「エロが好き」というイメージのない清楚で真面目な少女であるから、説得力が高い。
その通りで、凡人に「好きなことをやれ」と言ったら、エロかグルメに行ってしまう。
あるいは、自動車やファッションといった、表面的なこと、見栄のためだけのものが、凡人の「好き」なのである。

つまり、「好きなことをやれ」なんて言うもんじゃないし、「好きなことを見つけろ」なんて、言うまでもない(皆、エロとグルメが好きだ)。

では、正しくは、どう言えば良いのか?
それは「楽なことをやれ」である。

不世出の大空手家、大山倍達さんの伝記漫画『空手バカ一代』に、こんな印象深い場面がある。
スーパー空手家でありながら、大山さんがニートで暇だった時に始めた空手道場がだんだん大きくなり、生徒も増えてきていた。
そんな中、大山さんが道場で練習風景を見ていたら、1人の若い生徒に目が留まり、師範に声をかける。
「あれはスジがいい。鍛えたら強くなる」
ところが、しばらくしたら、その有望な生徒の姿が見えなくなり、師範に尋ねると、師範は、
「あいつはやめました。ちょっとシゴいたら、『僕はもっと楽しく空手をやりかたかった』と言って・・・」
と言う。
大山さんは戸惑う。
「俺は空手は命をかけてやるものだと思っていたが、『楽しくやる』という考え方もあるのか・・・」
これは、完全に大山さんの間違いだ。
その才能ある生徒は、楽しく空手を続けていれば、空手家にはならなくても、良い特技を身に付けていただろうし、それが、なんらかの意味で人生の役に立った可能性は高い。少なくとも、強くて健康な身体を得られたはずである。
また、自身が空手家にならなくても、格闘ゲームのクリエイターとして活躍したり、格闘小説や格闘漫画を書く作家になったかもしれない。
つまり、その生徒は、「楽しく」の重要な要素である「楽に」空手をやっていれば良かったのだ。

音楽教室でも、厳しく指導して、生徒が嫌になってやめてしまうのは、教師や、あるいは、教師にそのような指導を依頼した親の罪である。
そんな指導が多いから、「そこそこにピアノを弾ける」という人間が少なく、「かなり上手い」でなければ「全く弾けない」の両極端になってしまっている。
ローラ・インガルス・ワイルダーの伝記小説・およびテレビドラマである『大草原の小さな家』シリーズでは、農民であるローラの父チャールズが見事にヴァイオリンを弾くが、きっと、アメリカでは庶民で、そこそこヴァイオリンやギターなどの楽器を演奏出来る人はいくらでもいるのだろう。そして、それは明らかに、自分や周囲の人々に良い影響を与えているはずだ。
楽器演奏がそこそこ出来る普通の人は、「好き」もあっただろうが、練習が「楽」だったから続けられたのであることは間違いあるまい。

運動と言ったら、有名タレントがYouTubeで、情熱的な筋トレを勧めていることがあるが、そんなもの、続けられる人はいない。
一方で、有名なプロレスラーだったジャイアント馬場さんが、黒柳徹子さんに「楽な」スクワットを教え、黒柳さんはそれを20年以上続け、おかげで、黒柳さんは、80歳を過ぎても健康で足腰が強く身軽に動けるのである。

楽なことであれば、好きとまで言えるかどうか分からなくても、ちょっと興味があれば、とりあえずやってみることが出来る。
そうしたら、それが向いていて、熱が入って実力がつくかもしれない。
あるいは、それそのものでなくても、関係する道に進むきっかけになり、その別の道で成功するかもしれない。

「好きなことを仕事にしろ」というのも、考えものというか、無責任なアドバイスである場合が多いだろう。
エロやグルメは、滅多にロクな仕事にならないし、他のことだって、好きなことで仕事になることは、実際は、ほとんどない。
だが、あまり即物的に考えず、楽なことをやっていれば、たまたまそれが仕事に結びつくことならあるはずだ。

「楽」と「ちゃらんぽらん」は違う。「ちゃらんぽらん」になるのは、そもそも興味がないのであるから、別のことをやれば良い。
人間は、エロやグルメ以外にも、創造的なことで、それなりに好きなことはあるものだ。
それを、楽にやっていれば、道は開けるだろう。








  
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