事業家で世界一の富豪イーロン・マスクは、この世界はシミュレーテッド・リアリティという、いわばコンピューターが作り出した仮想世界であると断言しているそうだ。
ところで、私は、7歳くらいの時と思うが、それを直観的に見抜いていた。
もちろん、当時は、仮想世界なんて考え方はしなかったが、とにかく、この世界が「作り物」であることは薄々気付いていた。
別に私が特別なのではなく、子供が喋ることを注意深く聞いていたら、子供にはそんなことは分かっているのだと思う。
例えば、子供は、家の中の物・・・例えば、時計やテレビや人形が、前はこんなじゃなかったと言うことがあるが、大人は、それは単なる子供の気のせいとしか思わない。
だが、実際に、それらの物が、子供が言う通り、微妙に、あるいは、全く違うものに変わっているのかもしれない。
いや、実は、我々だって、今見ている物は以前見たものと違うのかもしれないが、それに気付かない、あるいは、気付いてはいるが無視しているだけかもしれない。
世界が作り物だということを確認する実験は意外と簡単である。
何でもいいが、平凡な物(平凡と感じる物)で、動かない物の方がやり易いかもしれない。
実際は、特殊な物や動く物でも構わないが、特に最初は、ありふれていて、静止している物の方が良いと思う。
私は、7歳の時、意識的にやった実験では、ドアノブ(銀色の金属製で丸いドアノブ)を使ったことを憶えている。
そのドアノブをじっと見るのだが、集中して見るというのではなく、さりげなく、しかし、視線は動かさずに見る。
そして、何も考えないのだが、視線を何かに固定していると、考えないことは難しくないと思う。
それで言えば、文字が書かれていないものの方が良い。なぜなら、文字が書かれていたら、それを読むことで思考が働くからだ。
何かを、何も考えずにじっと見ていたら、すぐに、変な感じがしてくる。
私は、その感覚に夢中になった。
その物が、一瞬前には、存在していなかったという感覚・・・というより、実際、存在していなかった。
この瞬間に、それは生まれたのだ。
「世界5分前仮説」というものあるが、それは、世界は5分前に生まれたのかもしれないというものだ。
5分より前の世界の記憶はあるが、その記憶は心の中に現れる偽物だ。
そして世界は、5分前どころか、今この瞬間に生まれていて、記憶もまた、今この瞬間に「捏造」されているのだ。
この実験は、そこそこにやった方が良い。
世界が瞬間に生まれていることを意識すると奇妙に感じるのは、ひょっとしたら、世界のこの有り様に対し、脳のキャパシティが追いつかないのかもしれない。
そうであるなら、あまり続けて、脳の情報処理にエラーを生じさせ続けたら、深刻なトラブルに陥ってしまうかもしれない。
実際、これを長くやると、吐き気を感じる。
サルトルの有名な小説『嘔吐』は、フランス語の原題を直訳すれば「吐き気」になるらしいが、サルトルは、そんなことを自分の世界全体に見ようとしていたのかもしれない。
そんなことをすれば、いかに優秀なサルトルの頭脳を持ってしても、狂気に陥るはずだ。
ただ、この感覚を掴み、少しの意思を潜り込ませれば、世界を自由に構築出来る。
どうやるかというと・・・って、こんなこと、こんな気楽にバラして良いものかと悩まないでもないが、少し練習は必要なこともあるし、慣れれば、そんなに面白くもないから、とりあえず書いてみよう。
何かをさりげなく、考えずにじっと見る時、その物の存在があやふやになるが、その物を存続させることに執着しないことだ。
つまり、それがないならないで良いとするのだ。
そして、存在するのは、その物ではなく、見ている自分の意思であるという単純な事実を思い出すのだ。
つまり、世界は自分の意識が作っているのである。
それなら、世界を好きなように作れる可能性があることが了解出来るだろう。
だが、心には、何かロックがかかっている。
そのロックを外すことが出来れば、もう魔法使いになったも同然である。
そして、魔法使いになっても支障のない精神力を持てば、実際にロックは外れる。
おそらく、本物の魔法結社なんてのは、魔法使いに相応しい精神力を作るノウハウを持っているのである。
ところで、私は、7歳くらいの時と思うが、それを直観的に見抜いていた。
もちろん、当時は、仮想世界なんて考え方はしなかったが、とにかく、この世界が「作り物」であることは薄々気付いていた。
別に私が特別なのではなく、子供が喋ることを注意深く聞いていたら、子供にはそんなことは分かっているのだと思う。
例えば、子供は、家の中の物・・・例えば、時計やテレビや人形が、前はこんなじゃなかったと言うことがあるが、大人は、それは単なる子供の気のせいとしか思わない。
だが、実際に、それらの物が、子供が言う通り、微妙に、あるいは、全く違うものに変わっているのかもしれない。
いや、実は、我々だって、今見ている物は以前見たものと違うのかもしれないが、それに気付かない、あるいは、気付いてはいるが無視しているだけかもしれない。
世界が作り物だということを確認する実験は意外と簡単である。
何でもいいが、平凡な物(平凡と感じる物)で、動かない物の方がやり易いかもしれない。
実際は、特殊な物や動く物でも構わないが、特に最初は、ありふれていて、静止している物の方が良いと思う。
私は、7歳の時、意識的にやった実験では、ドアノブ(銀色の金属製で丸いドアノブ)を使ったことを憶えている。
そのドアノブをじっと見るのだが、集中して見るというのではなく、さりげなく、しかし、視線は動かさずに見る。
そして、何も考えないのだが、視線を何かに固定していると、考えないことは難しくないと思う。
それで言えば、文字が書かれていないものの方が良い。なぜなら、文字が書かれていたら、それを読むことで思考が働くからだ。
何かを、何も考えずにじっと見ていたら、すぐに、変な感じがしてくる。
私は、その感覚に夢中になった。
その物が、一瞬前には、存在していなかったという感覚・・・というより、実際、存在していなかった。
この瞬間に、それは生まれたのだ。
「世界5分前仮説」というものあるが、それは、世界は5分前に生まれたのかもしれないというものだ。
5分より前の世界の記憶はあるが、その記憶は心の中に現れる偽物だ。
そして世界は、5分前どころか、今この瞬間に生まれていて、記憶もまた、今この瞬間に「捏造」されているのだ。
この実験は、そこそこにやった方が良い。
世界が瞬間に生まれていることを意識すると奇妙に感じるのは、ひょっとしたら、世界のこの有り様に対し、脳のキャパシティが追いつかないのかもしれない。
そうであるなら、あまり続けて、脳の情報処理にエラーを生じさせ続けたら、深刻なトラブルに陥ってしまうかもしれない。
実際、これを長くやると、吐き気を感じる。
サルトルの有名な小説『嘔吐』は、フランス語の原題を直訳すれば「吐き気」になるらしいが、サルトルは、そんなことを自分の世界全体に見ようとしていたのかもしれない。
そんなことをすれば、いかに優秀なサルトルの頭脳を持ってしても、狂気に陥るはずだ。
ただ、この感覚を掴み、少しの意思を潜り込ませれば、世界を自由に構築出来る。
どうやるかというと・・・って、こんなこと、こんな気楽にバラして良いものかと悩まないでもないが、少し練習は必要なこともあるし、慣れれば、そんなに面白くもないから、とりあえず書いてみよう。
何かをさりげなく、考えずにじっと見る時、その物の存在があやふやになるが、その物を存続させることに執着しないことだ。
つまり、それがないならないで良いとするのだ。
そして、存在するのは、その物ではなく、見ている自分の意思であるという単純な事実を思い出すのだ。
つまり、世界は自分の意識が作っているのである。
それなら、世界を好きなように作れる可能性があることが了解出来るだろう。
だが、心には、何かロックがかかっている。
そのロックを外すことが出来れば、もう魔法使いになったも同然である。
そして、魔法使いになっても支障のない精神力を持てば、実際にロックは外れる。
おそらく、本物の魔法結社なんてのは、魔法使いに相応しい精神力を作るノウハウを持っているのである。
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