「私は誰か」と問い続けることで、解脱することが出来るという。
解脱とは、悟りであり、真我の実現であるが、真我は神であるので、最も簡単な言い方をするなら、解脱とは、神になることである。
そして、そのためには、「私は誰か」と問えば良いという。

ところが、『The Collected Works of Sri Ramana Maharshi』(2002)に、こう書かれているようだ。
これは、「私は誰か」という問いを提示した本人である、ラマナ・マハルシの言葉を集めた本である。

「私は誰か」
を呪文にしてはならない。
ただ一度だけ質問すればいい。
それから、自我の源を見いだすように集中することで想いが起こるのを防ぎなさい。
~『静寂の瞬間(とき)』より~

これが、正しい「私は誰か」と問う方法であると理解出来る。
だが、無知な人は、心の中で、呪文のように、「私は誰か」という言葉を発し続けるのだ。
それでは、成果はないだろう。

だが、「自我の源を見いだすように集中する」には、どうすれば良いのだろう?
自我とは心のことであると言って良い。
では、心はどこにあるのだろう?
それは明らかである。
例えば、美しい少女が、心の在り処を示唆する時、どんなポーズをするだろう?
それは、両手を重ねて、胸の中央、鎖骨のやや下あたりを押さえる姿に決まっている。
※具体例としては、合法なYouTube映像がないのだが、「マジカルミライ2018」の『リバースユニバース』(ナユタン星人feat.初音ミク)で、初音ミクさんの「胸熱くなった時から」の時のポーズである。

つまり、自我の源は、胸のそのあたりにある。
これは、ラマナ・マハルシ自身も、経験的に、「ハート(魂)の座は、胸の中央から指2本分右にある」と語っている。
私もその通りだと思うが、普通の感覚としては、胸の中央で良いと思う(指2本分は、ほんのわずかだ)。
つまり、一度の瞑想としては、心で「私は誰か」と問うと同時に、胸のそのあたりに意識を置き、そのままでいる(胸に意識を置き続ける)と良いだろう。
その時、両手、あるいは、片手を、胸のそのあたりに当てるとやり易いと思う。
足立幸子氏も、『あるがままに生きる』の中で、「ぼーっとして、胸のあたりに意識を持っていく」ことについて述べていたと思う。

私は、長い間「私は誰か」と問う正しい方法が分からなかったが、これで間違いないと思う。
これは決して、願望達成法や成功術ではないのだが、この瞑想を続ければ、あなたの世界は良い方向に動き出すだろう。








  
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