死を意識すると、人間は変わってしまうものらしい。
イギリスの世界的作家コリン・ウィルソンの場合はこうだった。
ウィルソンは、家が貧しくて高校に行けず、仕方なく工場労働者になるが、なんとか、高校の科学の授業だけは受けられるようになって、科学者になるという夢をつないだ。
しかし、その科学の教師のパワハラに遭って絶望し、こんな世界で生きるのが嫌になって、青酸カリという確実に死ねる毒薬を手に入れ、まさに口に含もうとした時、「意識が変わって」しまった。
ウィルソンは、敬愛する、イギリスが誇る世界的SF作家H.G.ウェルズの自伝的小説『ポリー氏の人生』にこう書かれていたことを思い出す。
「人生が気に入られないなら、変えてしまえばいい」
この言葉が、ウィルソンの座右の銘になったようだ。
それから、ウィルソンの壮大なヤバい人生が始まる。
大発明家であった理学博士、橋本健氏は、この世界は映画と同じで、我々は、映画を見ている客だと言う。
そして、見ている映画が気に入らないなら、映写室に行って、フィルムを取り換えてしまえば良いと言う。
映画がこの世であるなら、映写室は四次元世界で、本当の我々はそこに居るし、映写室には、どんなフィルムもあり、まさに人生は思い通りになる。
現代的に言うなら、この世界は三次元ホログラムで、それを作り出しているコンピューターがあり、そのコンピューターを操作すれば、世界は思い通りに変わるのである。
そして、この世界が、コンピューターが作る三次元ホログラムだというのは、「れっきとした事実」で、三次元ホログラムの内容は好きなように変えることが出来る。
どうすれば世界を思い通りに変えられるのかというと、思えば良いのである。
思い通りになるのに思わないから変わらないのだ。
そして、実際のところ、思い通りになったのが今の状況なのである。
その今の状況が気に入らないなら、『ポリー氏の人生』でウェルズが言ったように、変えてしまえば良いのである。
それには、気に入る状況を思えば良い。
例えば、今の状況は貧乏だから金持ちに変えたければ、「私は金持ちだ」と思えば良い。
まあ、問題は、なかなかそう思えないことだろう。
しかし、良い話ではないかもしれないが、ヒトラーの部下で宣伝部長だったゲッペルスが言ったように、
「嘘も百回言えば真実になる」
である。よって、
「私は金持ちだ」
と百回言えば良い。
悪者は役に立つことも言うのである(笑)。
ただ、そう言うと、普通の人はセカセカと百回言うのだが、「静かに、ゆっくり、丁寧」に言わないと、「思い」は変わらない。
また、これまで、「お前は貧乏だ」あるいは「お前が金持ちになるはずがない」としつこく言われ続けてきたのなら、なかなか「私は金持ちだ」と思えない。
そこで、ウィルソンのように死を意識すれば、ぱっと変わることがよくあるが、間違えて青酸カリを飲んでしまっては大変なので、別の手を使う。
1つは、「私は金持ちだ」と、千回言うことであり、それで駄目なら1万回言うことだ。
江戸末期の神道家、黒住宗忠は、ハンセン氏病(らい病)に罹った武士に、1日百回「ありがたい」と言うよう指示した。
だが、武士がその通りにしても治らない。
そこで、宗忠は、「では千回」と言い、武士は従ったがそれでも治らない。
「では1万回」
武士が1日1万回「ありがたい」と心を込めて言うと、1週間で治った。
「私は金持ちだ」と直接言っても良いが、宗忠が教えたように「ありがたい」と言うのも良いかもしれない。
あるいは、いつもお薦めする通り、「神様の奇跡が起こる」と唱えて大成功した者もいる。
どうしてもうまくいかないというのは、現在の状況に固定する設定が強過ぎるのだろう。
それでも、諦めずに世界を変えようとすれば、いつかは勝利するし、それで駄目なら、今後は、諦めたらうまくいくらしい。
ウィルソンも、諦めて死ぬことを選んだ時、世界が変わったのである。
ただ、死ぬ気になるのは良いが、本当に死んでは何にもならない。
そこまでうまくいかないなら、駄目な人達に教える役目でも選んでいるのかもしれない。
優等生だった教師が劣等生に教えることが難しいように、自分が駄目だったことがないと、駄目な人を教えられないからね。
そして、駄目な人、ものすごく増えてる(笑)。
教え方はいろいろなのだが、きっと忙しくなるだろう。
イギリスの世界的作家コリン・ウィルソンの場合はこうだった。
ウィルソンは、家が貧しくて高校に行けず、仕方なく工場労働者になるが、なんとか、高校の科学の授業だけは受けられるようになって、科学者になるという夢をつないだ。
しかし、その科学の教師のパワハラに遭って絶望し、こんな世界で生きるのが嫌になって、青酸カリという確実に死ねる毒薬を手に入れ、まさに口に含もうとした時、「意識が変わって」しまった。
ウィルソンは、敬愛する、イギリスが誇る世界的SF作家H.G.ウェルズの自伝的小説『ポリー氏の人生』にこう書かれていたことを思い出す。
「人生が気に入られないなら、変えてしまえばいい」
この言葉が、ウィルソンの座右の銘になったようだ。
それから、ウィルソンの壮大なヤバい人生が始まる。
大発明家であった理学博士、橋本健氏は、この世界は映画と同じで、我々は、映画を見ている客だと言う。
そして、見ている映画が気に入らないなら、映写室に行って、フィルムを取り換えてしまえば良いと言う。
映画がこの世であるなら、映写室は四次元世界で、本当の我々はそこに居るし、映写室には、どんなフィルムもあり、まさに人生は思い通りになる。
現代的に言うなら、この世界は三次元ホログラムで、それを作り出しているコンピューターがあり、そのコンピューターを操作すれば、世界は思い通りに変わるのである。
そして、この世界が、コンピューターが作る三次元ホログラムだというのは、「れっきとした事実」で、三次元ホログラムの内容は好きなように変えることが出来る。
どうすれば世界を思い通りに変えられるのかというと、思えば良いのである。
思い通りになるのに思わないから変わらないのだ。
そして、実際のところ、思い通りになったのが今の状況なのである。
その今の状況が気に入らないなら、『ポリー氏の人生』でウェルズが言ったように、変えてしまえば良いのである。
それには、気に入る状況を思えば良い。
例えば、今の状況は貧乏だから金持ちに変えたければ、「私は金持ちだ」と思えば良い。
まあ、問題は、なかなかそう思えないことだろう。
しかし、良い話ではないかもしれないが、ヒトラーの部下で宣伝部長だったゲッペルスが言ったように、
「嘘も百回言えば真実になる」
である。よって、
「私は金持ちだ」
と百回言えば良い。
悪者は役に立つことも言うのである(笑)。
ただ、そう言うと、普通の人はセカセカと百回言うのだが、「静かに、ゆっくり、丁寧」に言わないと、「思い」は変わらない。
また、これまで、「お前は貧乏だ」あるいは「お前が金持ちになるはずがない」としつこく言われ続けてきたのなら、なかなか「私は金持ちだ」と思えない。
そこで、ウィルソンのように死を意識すれば、ぱっと変わることがよくあるが、間違えて青酸カリを飲んでしまっては大変なので、別の手を使う。
1つは、「私は金持ちだ」と、千回言うことであり、それで駄目なら1万回言うことだ。
江戸末期の神道家、黒住宗忠は、ハンセン氏病(らい病)に罹った武士に、1日百回「ありがたい」と言うよう指示した。
だが、武士がその通りにしても治らない。
そこで、宗忠は、「では千回」と言い、武士は従ったがそれでも治らない。
「では1万回」
武士が1日1万回「ありがたい」と心を込めて言うと、1週間で治った。
「私は金持ちだ」と直接言っても良いが、宗忠が教えたように「ありがたい」と言うのも良いかもしれない。
あるいは、いつもお薦めする通り、「神様の奇跡が起こる」と唱えて大成功した者もいる。
どうしてもうまくいかないというのは、現在の状況に固定する設定が強過ぎるのだろう。
それでも、諦めずに世界を変えようとすれば、いつかは勝利するし、それで駄目なら、今後は、諦めたらうまくいくらしい。
ウィルソンも、諦めて死ぬことを選んだ時、世界が変わったのである。
ただ、死ぬ気になるのは良いが、本当に死んでは何にもならない。
そこまでうまくいかないなら、駄目な人達に教える役目でも選んでいるのかもしれない。
優等生だった教師が劣等生に教えることが難しいように、自分が駄目だったことがないと、駄目な人を教えられないからね。
そして、駄目な人、ものすごく増えてる(笑)。
教え方はいろいろなのだが、きっと忙しくなるだろう。
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こちらの言葉に心に引っ掛かりました。もちろん私も駄目な人ですが。
どちらしろまだ仕事がみつからないので呪文を称え続けるのみです。