「一切を諦めた時に全てを得る」
「有限全てが無限の対価だ」
などと聞くと、しゃくなことに、これが真実だということは本当は誰にでも分かるが、どうすれば良いか分からない。
これをうまくやれた人ってのは、癌で余命僅かと宣告され、死を受け入れることが出来た人くらいだ。
そんな人は、一切を諦めたのであり、有限全てを差し出したのだから、当然全てを得るので、癌は消滅し、その後は、何を望んでも簡単に実現する。

私は、短い時間なら、一切を諦めた状態になり、超能力者とか仙人みたいなものになることが出来る。
どうやるかというと、先に言葉で言うと、
「存在の感覚にしがみつく」
だ。
「存在の感覚」とは、「私は存在する」という自覚で、他のことは一切考えず、「私は存在する」と思えば、ただちに得られる。
それでも、もう少し分かり易く言うと、
「朝、目が覚めて、まだ日常の思考が働かずにぼーっとしてる状態」
で、現代人は、大抵、その時間は短い。
「アラビアのロレンス」で知られるT.E.ロレンスの、とても読めたものではない著作『知恵の七柱』の中で、ロレンスが、目覚めてから長い間、頭が日常思考を始めなかった時のことを書いているが、その時、ロレンスは、この世界の壮大な意味に圧倒された。
癌から生還した人は、日常の思考が薄くなっている(現実感が弱くなっている)ので、常時、それに近い状態にある。
もっとも、そんな人でも、昔の精神状態に戻れば、また、元の凡人になる。
ロレンスの体験については、コリン・ウィルソンが『右脳の冒険』に、『知恵の七柱』の該当部分を引用してくれている。

だが、とにかく、「私は存在している」ということ以外、一切何も考えない、言い換えれば、「私は存在しているだけ」と思えば、いつでもロレンスになれる。
時間は限定されるかもしれないが。
映画『アラビアのロレンス』は、かなり創作が入っているが、まるっきり嘘でもない。
あの映画を見る時は、自分はロレンスだと思わなければならない。
実際、そうであり、あの映画は自分の物語である。そう見なさなければ、あまり役に立つ映画ではないと思う。
あの映画の冒頭で、ロレンスは芸を見せる。
火のついたマッチの軸を指でつまんで消してみせた。
他の者がやったら、熱くて出来ない。
コツを尋ねられると、ロレンスは「熱いと思わないこと」と言ったが、なんともいい加減な答だ(笑)。
誰だって、火が熱いことは知っているし、しかも、それは強い信念だ。
だが、「私は存在する」とだけ思えば、簡単にそれが出来る。
なぜかと言うと、あらゆる信念の中で「私は存在する」という信念が一番強いからだ。
それに集中してしまえば、他の信念は消える。火は熱いという信念でさえ。
宗派にもよるが、仏教では、自分を腰骨と見なすらしい。
腰骨に出来ることは、存在することだけだ。
また、腰骨というか、仙骨は意外と集中し易い。
武道でも、仙骨を意識しながら戦うものがある。
存在だけになって無意識で戦うのだから、『燃えよドラゴン』の、「考えるな、感じろ」がすぐに出来る。
他にもいろいろやり方があるが、これでもちょっと言い過ぎた。

とにかく、「私は存在する」と思えば、たとえ少しでも超能力者になるし、その感覚に慣れ、長時間持続出来れば、もう人間を超えられる。
人生が切羽詰まってしまい、悟りでも得るしか道はないと思うなら、試してみると良いかもしれない。








  
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