私が子供の時に、あり得ない奇跡を起こした時は、知識やテクニックなんてものは全く関係なく、ただ、「どうしても欲しい」「どうしても叶って欲しい」という熱情だけで結果を引き寄せたと思う。
つまり、欲しいものに対し、素直、正直、遠慮がないということだし、何があっても諦めない不屈の心があったのだと思う。
そういえば、あるお坊様の本に、「欲しいと素直に思うことが大事だが、大人になるとそれが出来なくなる」といったことが書かれていたと思う。
もっとも、欲しがるべきものでなければ我慢する分別は大切で、それが出来ない危ない大人(かなりの年配者にもいそうだ)が多くなっているが、逆に、諦めなくて良いことを諦めてしまっている者は、大人に限らず、子供にも増えているに違いない。
どうも、あまり良くない世の中になっているのだと思う。

子供が一途に欲しいと思う気持ちは「勢い」とも言える。
心のエネルギーを最大に高めないといけないが、それは、単なる興奮を超えて神懸かった状態が理想的なのだと思う。
だが、私の場合もそうだったが、そこまででなくても、「集中され、活性化された意識の状態」であれば良い。
それでも、私も、望みが叶うまでは、他のことはどうでも良い状態であったとは思う。
時には、願いは叶うまでに時間がかかることもあったが、その間は、その願いについて本当によく考えていたと思う。
ところが、大学生は、卒業する頃には、就職したいと思うだろうが、そんな時に、美味しいものが食べたいとか、デートがしたいと思っているようでは、やはり、集中力が足りないのではないかと思う。
あるいは、「プログラミングをマスターしたいが、うまくいかない」という人の話を聞くと、やはり、意識の割当量が少な過ぎると感じる。
別に、凄い努力をする必要はないが、情熱とか思い入れが足りなさ過ぎるのである。
実際、命を懸けてやれば叶わないことはないが、そこまででなくても、それなりに集中しなくては駄目だし、それが出来ないなら、不向きであるのだから、目標を変えた方が良い。
世の中には、やりがいのある目標など、いくらでもある。

また、戦争中の「欲しがりません、勝つまでは」のように、押し付けられた目標では、それほどのエネルギーを得られないのでうまくいかないが、現代は、日本を含めた多くの国で、権力者の都合の良い偽の目標を、自分の目標として押し付けらfれることに慣れてしまい、自分が本当に欲しいものが何か分からない人が多い。
たとえ自分では「私はこれが欲しいのだ」と思い込んでいても、実はそれは外部から植え付けられた奴隷の目標である場合が多いのである。

それで思い出すのが、戦争中、乗っていた船が何度も米軍の爆撃を受けて沈められ、大海原で漂流中に仲間達が、体力というよりは気力が途切れて皆死んでしまった中で、5回も生き残った男の話だ。
この男は大変な酒好きで、果てのない真っ暗な冷たい海で疲労困憊(ひろうこんぱい)し、鮫の襲撃を受けながらも、岡に上がって酒を飲むことを一途に考え続けていたらしい。
この「どうしても酒が飲みたい」という熱情こそが、奇跡を起こす原動力である。
(このエピソードは、『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』にある)
このような生命エネルギーを与える有力な手段が、地球のどんな場所にもある、祭という行事であるが、このことは、芸術家の岡本太郎氏や精神分析学者の岸田秀氏らも著書で指摘している。
まあ、ミク廃の人が、年に一度(あるいは二度)のマジカルミライ(初音ミクさんの企画展とライブコンサート)で生きるエネルギーを得るようなものだ(笑)。

生命エネルギーを得る方法にはいろいろあるが、イギリスの作家コリン・ウィルソンが生涯をかけて研究したテーマはそれだった。
そして、そのエネルギーを使えば、願いも叶うのである。
長くなったので、具体的には、おいおい語ろうと思う。








  
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