私は、中学1年生の時に読んだ、イギリスの作家ハーバート・ジョージ・ウェルズの短編『奇跡を起こせる男』(1898)のことを、今でも時々考える。
この小説に登場する「奇跡を起こせる男」の名は、ジョージ・マクワーター・フォザリンゲーで、私はぱっとしない名であると感じるが、この小説でも「けっして、人に奇跡を期待させるような名前ではない」と書かれている。
この奇跡の男は、小説内では、常に「フォザリンゲー氏」と呼ばれている。
そして、フォザリンゲーは、いかにも「大したことない男」だ。
年齢は30歳で、小柄、容姿は十人並み以下だろう。仕事は店員で、重要人物ではない。
議論好きではあるが、それで一目置かれている訳でもなく、その議論好きな性質は周囲の人達にとっては、どちらかというと迷惑でしかないだろう。
だが、彼が起こせる奇跡の力は天井知らずで不可能はない。
もし、『涼宮ハルヒの憂鬱』から始まる『涼宮ハルヒ』シリーズをご存じなら、フォザリンゲーの力は涼宮ハルヒと張れるほどだが、フォザリンゲーの場合、その力を意識的に自由に発揮出来る。
例えば、「1万円札を千枚、ここに出せ」と言えば、その通りになる。
いや、1万枚、さらには、百万枚でも全く同じだろう。
ある時は、1人の刑事に対し、「地獄に行け」と言ったら、その刑事は消えてしまったが、悪いと思って、戻ってこさせたことがあった。その刑事が実際にどんなところに行っていたかは分からないが。
『サクラダリセット』のヒロイン、春埼美空(はるきみそら)は、「リセット」という、世界を最大3日、巻き戻せる驚異の能力があるが、フォザリンゲーにだって出来る。いや、フォザリンゲーなら、春埼美空のリセット能力にある様々な制限はないと思われる。

ウェルズは単に空想的な作品を書く人ではなく、『タイムマシン』や『宇宙戦争』といった作品も、どこかリアリティがあるので、いまだ映画化されるのだと思う。
私も、『奇跡を起こせる男』に関しては、単に、自分もそんなことが出来たらいいなというのではなく、当時から、どこか現実味を感じていたのだ。
というより、時々書いているが、私も奇跡を起こしたことがあったからだ。
猿が紙にインクをなすり付けたら小説になるというのを、奇跡と捉えることも偶然と捉えることも出来るが、私の奇跡は、そういった類のものだ。
その意味、私の奇跡は、涼宮ハルヒやフォザリンゲー、あるいは、春埼美空のように、確率の問題ではない超常現象を起こすのとは、奇跡の種類が違うかもしれないが、「ありえないこと」という意味では同じだ。
だが、私の奇跡も、フォザリンゲーらの奇跡も、この世界が、コンピューターが作っている仮想世界だとすれば、原理的には同じように可能なのである。
つまり、この世界が、『マトリックス』や『ソードアート・オンライン』に出てくるような作り物のデジタル世界であればである。
今、何かと話題になる49歳の世界一の大富豪イーロン・マスクは、この世界が仮想世界でない可能性はほぼゼロと言っているらしいが、今や、そう考える人は決して珍しくはない。
むしろ、本当に頭が良いかどうかは、この世界が仮想世界であることを、どう肯定するかで大体解るのではないかと思うほどだ・・・というのは私の主観だが、この世界が仮想世界であると語る賢い人達を見ていると、そう思うのである。

そして、我々凡人にとっては、この世が仮想世界であることの重大性はどうでもよく、重要なことは、フォザリンゲーのような奇跡の力を行使して、ぱっと幸せになれるかであろう。
もちろん、この可能世界を作った人間、あるいは、AI(のようなもの)は、我々の意思が実現するシステムに、何らかの制限はかけているだろうが、一定の範囲では、実現可能になっているのだと思う。
だから、私にだって、ある程度の奇跡は起こせる。
そして、奇跡を起こす鍵は、案外に、そこらに散らばっている。
『奇跡を起こせる男』なんて小説もその1つだ。
「神様の奇跡が起こる」と唱え続け、1憶円を2回当てたホームレスの話も、まさにそうだろう。

イギリスの作家コリン・ウィルソンは、23歳の時に書いた『アウトサイダー』で、ヒッピーから一夜で世界的作家になったが、彼が座右の銘とするのは、ウェルズの自伝的小説『ポリー氏の人生』にある、「人生が気に入らないなら変えてしまえばいい」だ。
超駄目男ポリーも、そうやって人生を変えたのである。
きっと、この仮想世界を操作する鍵を見つけたのだろう。








  
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