なぜ、アファーメーションを際限もなく繰り返さないと望む奇跡が起きないのかというと、そうでなければ、我々の自我意識がものごとを進めようとするからだ。
自我意識で実行して、うまくいく人間もいるのかもしれないが、それは、優れた王家で育てられた者か、未来の人類か、あるいは、進化した宇宙人の場合くらいと思う。
どういう意味かと言うと、現代の、我々普通の人間の自我意識は、すっかり変質させられているので、その自我意識で何をやっても、ロクな結果にならないということだ。
我々は、言葉も知らない頃から、親や周囲の大人やテレビに、その後、学校やテレビや本などに、大人になってからも、テレビや新聞、その他のメディアに自我意識を奴隷に相応しいものに洗脳され続けているのである。
アファーメーションを限りなく唱えることで、自我意識にとりつき、支配する悪魔を無力化した時に、「力」に通じる扉が開く。
それを、美しく言い表した言葉が、ラマナ・マハルシの教えを簡潔に示した小冊子『私は誰か?』の18章にある。
引用する。
どんな重荷を負わされようと、神はそれに耐える。神の至高の力がすべてのものごとを動かしているというのに、なぜわれわれはその力に身をま
かせず、何をどうすべきか、どうすべきではないかと思い悩むのだろうか? われわれは列車がすべての荷物を運んでくれることを知っている。
列車に乗ってまでも、自分の小さな荷物を頭にのせて苦労する必要がどこにあろう。荷物をおろして安心しなさい。
この小冊子(PDFファイル)は、ラマナ・マハルシのWebサイトからダウンロード出来たのだが、最近は、サイトの管理状態が良くないのか、適当なダウンロードページが見つからない(存在するのかもしれないが)。
現時点で、「私は誰か PDF」で検索して出てる、同ファイルへの直接リンクは以下の通りだが、将来に渡って同じかどうかは分からない。
【PDF】私は誰か? - Sri Ramana Maharshi
下記に紹介した書籍『ラマナ・マハルシの教え』には、これが記載されている。
『荘子』の思想は全く同じと思えるし、おそらく、イエス・キリストや法然もそうなのだと思う。
ただ、彼らは、時代背景もあり、神にまかせてしまったからといって、良い結果になるとは言っていないし、特に、荘子の場合は、最悪の結果になる場合が語られている。ただし、そうではあっても、神にまかせきってしまえば、精神的には幸福であると述べているのだと思う。
そして、江戸末期の神道家であった黒住宗忠は、「神にまかせきれば、嬉しいことばかりになる」と、良い結果になることが示唆され、アメリカの芸術家で、今日で言う引き寄せの法則の優れた指導者であったフローレンス・スコーヴェル・シンは、アファーメーションにより、望む結果を得られることを教えている。
法然は念仏、ラマナ・マハルシは「私は誰か」という問いかけ、フローレンス・スコーヴェル・シンはアファーメーションという分かり易い手段を示した。一方、イエス、黒住宗忠は神への愛や信頼でことをなせと教えたが、それは難しいことである。
(ただ、黒住宗忠はハンセン氏病の武士に「ありがたい」と唱えさせて1週間ほどで完治させたこともある。これも一種のアファーメーションである)
荘子にいたっては哲学的に教え、それは最も難しく、やはり、多くの誤解を生んだ(逆に、哲学的理解には適しているが)。
とはいえ、教えていることは、皆、同じである。
ただし、イエスや、黒住宗忠が言うような、神への愛や信頼でもって事を行おうとしても、我々の歪んだ自我意識では、愛や信頼の概念自体が歪んでいるのである。
よって、念仏やアファーメーションといった手段を、何も考えずに使う方が安全である。
私としては、難しかったり、高尚であるアファーメーションより、「神様の奇跡が起こる」や「ありがたい」といった単純なもの、あるいは、ジョセフ・マーフィーが教えた「単語法」、即ち、「富」「成功」「富、成功」「歓喜、成功、富」といった言葉を唱えることをお薦めする。
自我意識で実行して、うまくいく人間もいるのかもしれないが、それは、優れた王家で育てられた者か、未来の人類か、あるいは、進化した宇宙人の場合くらいと思う。
どういう意味かと言うと、現代の、我々普通の人間の自我意識は、すっかり変質させられているので、その自我意識で何をやっても、ロクな結果にならないということだ。
我々は、言葉も知らない頃から、親や周囲の大人やテレビに、その後、学校やテレビや本などに、大人になってからも、テレビや新聞、その他のメディアに自我意識を奴隷に相応しいものに洗脳され続けているのである。
アファーメーションを限りなく唱えることで、自我意識にとりつき、支配する悪魔を無力化した時に、「力」に通じる扉が開く。
それを、美しく言い表した言葉が、ラマナ・マハルシの教えを簡潔に示した小冊子『私は誰か?』の18章にある。
引用する。
どんな重荷を負わされようと、神はそれに耐える。神の至高の力がすべてのものごとを動かしているというのに、なぜわれわれはその力に身をま
かせず、何をどうすべきか、どうすべきではないかと思い悩むのだろうか? われわれは列車がすべての荷物を運んでくれることを知っている。
列車に乗ってまでも、自分の小さな荷物を頭にのせて苦労する必要がどこにあろう。荷物をおろして安心しなさい。
この小冊子(PDFファイル)は、ラマナ・マハルシのWebサイトからダウンロード出来たのだが、最近は、サイトの管理状態が良くないのか、適当なダウンロードページが見つからない(存在するのかもしれないが)。
現時点で、「私は誰か PDF」で検索して出てる、同ファイルへの直接リンクは以下の通りだが、将来に渡って同じかどうかは分からない。
【PDF】私は誰か? - Sri Ramana Maharshi
下記に紹介した書籍『ラマナ・マハルシの教え』には、これが記載されている。
『荘子』の思想は全く同じと思えるし、おそらく、イエス・キリストや法然もそうなのだと思う。
ただ、彼らは、時代背景もあり、神にまかせてしまったからといって、良い結果になるとは言っていないし、特に、荘子の場合は、最悪の結果になる場合が語られている。ただし、そうではあっても、神にまかせきってしまえば、精神的には幸福であると述べているのだと思う。
そして、江戸末期の神道家であった黒住宗忠は、「神にまかせきれば、嬉しいことばかりになる」と、良い結果になることが示唆され、アメリカの芸術家で、今日で言う引き寄せの法則の優れた指導者であったフローレンス・スコーヴェル・シンは、アファーメーションにより、望む結果を得られることを教えている。
法然は念仏、ラマナ・マハルシは「私は誰か」という問いかけ、フローレンス・スコーヴェル・シンはアファーメーションという分かり易い手段を示した。一方、イエス、黒住宗忠は神への愛や信頼でことをなせと教えたが、それは難しいことである。
(ただ、黒住宗忠はハンセン氏病の武士に「ありがたい」と唱えさせて1週間ほどで完治させたこともある。これも一種のアファーメーションである)
荘子にいたっては哲学的に教え、それは最も難しく、やはり、多くの誤解を生んだ(逆に、哲学的理解には適しているが)。
とはいえ、教えていることは、皆、同じである。
ただし、イエスや、黒住宗忠が言うような、神への愛や信頼でもって事を行おうとしても、我々の歪んだ自我意識では、愛や信頼の概念自体が歪んでいるのである。
よって、念仏やアファーメーションといった手段を、何も考えずに使う方が安全である。
私としては、難しかったり、高尚であるアファーメーションより、「神様の奇跡が起こる」や「ありがたい」といった単純なもの、あるいは、ジョセフ・マーフィーが教えた「単語法」、即ち、「富」「成功」「富、成功」「歓喜、成功、富」といった言葉を唱えることをお薦めする。
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