イギリスのSF作家、H.G.ウェルズは、コリン・ウィルソンやカート・ヴォネガットらの大作家が最高の賛辞を寄せる文学者だ。
ウェルズの『宇宙戦争(1898)』や『タイムマシン(1895)』は、20世紀に傑作映画が作られているが、それぞれ、2005年、2002年にも映画化されており、さらに、未来の再映画化も十分に考えられる。
タイムマシンの概念を作ったのはウェルズではないかと思うが、他にも、ウェルズは、原爆が無かった時代にその登場を予言した。
ウェルズの短編に『奇跡を起こせる男』(1898)という作品がある。
「奇跡を起こせる男」なんて言葉は日本語になってないなんて文句を言う人もいそうだが、訳者によって、『奇跡を行う男』『奇跡をおこさせる男』など、他にもいろんな日本語版タイトルがある。
原題は“The Man Who Could Work Miracles”だ。
私はこれを中学1年生の時に読んで、非常に面白く印象的だったのを憶えている。
どんな話かと言うと、突然に神のごとき力を得た、30歳の冴えない男の話だ。
彼が最初に起こした奇跡は、当時は石油ランプが使われていた時代だが、その石油ランプを、空中に逆さに浮かせて燃えさせるというものだった。
彼が、そうなれと言えばただちにそれは実現した。
上等の服も、豪華な料理も思いのまま、即座に出現させることが出来た。
ある時、刑事に追い詰められた時には、思わず、刑事に向かって「地獄へ行け」と言ったら、その刑事は消えてしまった。
地獄が本当にあるかどうかはともかく、いつまでもそのままでは悪いので、男が場所を指定して「帰って来い」と言ったら、地獄の炎で焼けたのか、服が焦げた刑事が、その場所に現れた。
現代と比べて、極めて情報が少ない時代の、凡庸なこの男の想像力では、それほど大それたことは考えないと思われたが、最後に、かなりヤバい奇跡を起こしたところ、予想もしなかった事態に怖れをなし、男は、最後の奇跡として、奇跡の力を捨てることと、最初に奇跡を起こした時間に戻るようにした。
奇跡を起こせる人と言えば、映画『トワイライトゾーン/超次元の体験』の中の第3話である『子供の世界(IT'S A GOOD LIFE)』というものがある。
11歳位のアンソニーという少年が、やはり、万能の奇跡の力を持っていた。
それで、家族全員が、アンソニーに怯え、家来のように従っていた。
結局、若い女性教師ヘレンに諭され、アンソニーは奇跡の力を生涯、封印することを誓うが、さあ、どうなることやら。
いずれにしても、奇跡の力なんてものは、普通の人間には無用で、持つと、ロクなことにならないことを示している。
そもそも、奇跡の力というものがあるかとなると、自分が科学的であるとか常識があると思っている人の多くは「ない」と言うだろう。
しかし、新約聖書には、イエス・キリストが多くの奇跡を起こした話があり、キリスト教徒の多くは、それを信じている。
日本にだって、黒住宗忠という、奇跡の力を見せたと言われる神道家がいるし、他にも、話だけなら沢山いるだろう。
いや、私も、奇跡を起こせる人には結構会っているし、私も少々出来る(笑)。
そして、科学者の中にも奇跡を肯定する、あるいは、可能性を肯定する者は、今でも少なくないし、むしろ、増えているようにも思う。
もちろん、科学的に言うなら、「奇跡の定義は」から始まるので面倒であるが。
で、こう決着をつけておく。
イエスにしろ黒住宗忠にしろ、あるいは、誠実に思える奇跡を起こせる他の人達の間でも、奇跡には共通することがある。
まず、奇跡を起こす力は、ごく身近にある。
イエスは天にいる神の力としたが、神には距離は関係ない。
黒住宗忠の場合、絶対神としての天照大神は、外にもいるが、我々と一体でもあるとも言った。
そして、現在の潜在意識の法則や引き寄せの法則では、奇跡でも起こせる万能の力は、潜在意識、あるいは、無意識の中に存在し、誰でも、いつでも、それを使えるのだと言う。
ただ、上の『奇跡を起こせる男』や『子供の世界』には、圧倒的な誤りがある。
それは、奇跡というものは、人間の意思で無理矢理起こすものではなく、神とでも言うべき存在が起こすのだということだ。
それを、イエスは「私の思いではなく、神の思いが実現しますように」と言ったのだし、黒住宗忠は「神に丸ごとまかせれば間違いない」と言ったのだ。
そして、神が味方であることは、彼らを含めた全ての聖人や現代の引き寄せの法則の教師達が保証している。
で、どうすれば、神様が願いを聞いてくれるかと言うと、いろいろやり方はあると思うが、私に関して言えば、1つのやり方以外は難し過ぎて駄目である。
そのやり方は、何度も書いたが、
「私はXXXXである」
と、言葉や心で言うことだ(私はもっぱら心でだが)。
叶わないのは、やり方がどうとかではなく、単に回数が足りないだけで、小さな願いで数千回、大きな願いでも10万回で叶う。
まあ、保証する訳にはいかないが、特殊な事情がある場合を除き(滅多にない)、叶わないことはあり得ないと思う。
ウェルズの『宇宙戦争(1898)』や『タイムマシン(1895)』は、20世紀に傑作映画が作られているが、それぞれ、2005年、2002年にも映画化されており、さらに、未来の再映画化も十分に考えられる。
タイムマシンの概念を作ったのはウェルズではないかと思うが、他にも、ウェルズは、原爆が無かった時代にその登場を予言した。
ウェルズの短編に『奇跡を起こせる男』(1898)という作品がある。
「奇跡を起こせる男」なんて言葉は日本語になってないなんて文句を言う人もいそうだが、訳者によって、『奇跡を行う男』『奇跡をおこさせる男』など、他にもいろんな日本語版タイトルがある。
原題は“The Man Who Could Work Miracles”だ。
私はこれを中学1年生の時に読んで、非常に面白く印象的だったのを憶えている。
どんな話かと言うと、突然に神のごとき力を得た、30歳の冴えない男の話だ。
彼が最初に起こした奇跡は、当時は石油ランプが使われていた時代だが、その石油ランプを、空中に逆さに浮かせて燃えさせるというものだった。
彼が、そうなれと言えばただちにそれは実現した。
上等の服も、豪華な料理も思いのまま、即座に出現させることが出来た。
ある時、刑事に追い詰められた時には、思わず、刑事に向かって「地獄へ行け」と言ったら、その刑事は消えてしまった。
地獄が本当にあるかどうかはともかく、いつまでもそのままでは悪いので、男が場所を指定して「帰って来い」と言ったら、地獄の炎で焼けたのか、服が焦げた刑事が、その場所に現れた。
現代と比べて、極めて情報が少ない時代の、凡庸なこの男の想像力では、それほど大それたことは考えないと思われたが、最後に、かなりヤバい奇跡を起こしたところ、予想もしなかった事態に怖れをなし、男は、最後の奇跡として、奇跡の力を捨てることと、最初に奇跡を起こした時間に戻るようにした。
奇跡を起こせる人と言えば、映画『トワイライトゾーン/超次元の体験』の中の第3話である『子供の世界(IT'S A GOOD LIFE)』というものがある。
11歳位のアンソニーという少年が、やはり、万能の奇跡の力を持っていた。
それで、家族全員が、アンソニーに怯え、家来のように従っていた。
結局、若い女性教師ヘレンに諭され、アンソニーは奇跡の力を生涯、封印することを誓うが、さあ、どうなることやら。
いずれにしても、奇跡の力なんてものは、普通の人間には無用で、持つと、ロクなことにならないことを示している。
そもそも、奇跡の力というものがあるかとなると、自分が科学的であるとか常識があると思っている人の多くは「ない」と言うだろう。
しかし、新約聖書には、イエス・キリストが多くの奇跡を起こした話があり、キリスト教徒の多くは、それを信じている。
日本にだって、黒住宗忠という、奇跡の力を見せたと言われる神道家がいるし、他にも、話だけなら沢山いるだろう。
いや、私も、奇跡を起こせる人には結構会っているし、私も少々出来る(笑)。
そして、科学者の中にも奇跡を肯定する、あるいは、可能性を肯定する者は、今でも少なくないし、むしろ、増えているようにも思う。
もちろん、科学的に言うなら、「奇跡の定義は」から始まるので面倒であるが。
で、こう決着をつけておく。
イエスにしろ黒住宗忠にしろ、あるいは、誠実に思える奇跡を起こせる他の人達の間でも、奇跡には共通することがある。
まず、奇跡を起こす力は、ごく身近にある。
イエスは天にいる神の力としたが、神には距離は関係ない。
黒住宗忠の場合、絶対神としての天照大神は、外にもいるが、我々と一体でもあるとも言った。
そして、現在の潜在意識の法則や引き寄せの法則では、奇跡でも起こせる万能の力は、潜在意識、あるいは、無意識の中に存在し、誰でも、いつでも、それを使えるのだと言う。
ただ、上の『奇跡を起こせる男』や『子供の世界』には、圧倒的な誤りがある。
それは、奇跡というものは、人間の意思で無理矢理起こすものではなく、神とでも言うべき存在が起こすのだということだ。
それを、イエスは「私の思いではなく、神の思いが実現しますように」と言ったのだし、黒住宗忠は「神に丸ごとまかせれば間違いない」と言ったのだ。
そして、神が味方であることは、彼らを含めた全ての聖人や現代の引き寄せの法則の教師達が保証している。
で、どうすれば、神様が願いを聞いてくれるかと言うと、いろいろやり方はあると思うが、私に関して言えば、1つのやり方以外は難し過ぎて駄目である。
そのやり方は、何度も書いたが、
「私はXXXXである」
と、言葉や心で言うことだ(私はもっぱら心でだが)。
叶わないのは、やり方がどうとかではなく、単に回数が足りないだけで、小さな願いで数千回、大きな願いでも10万回で叶う。
まあ、保証する訳にはいかないが、特殊な事情がある場合を除き(滅多にない)、叶わないことはあり得ないと思う。
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