私は、西洋式のレストランが苦手である。
まず、ナイフとフォークの使い方が分からない。
西洋人は箸を使うまでには進歩していないから困る(笑)。
レストランの高級さが増すほど、分からないことが多くなる。
いや、よく考えたら、高級でも何でもないレストランでも、分からないことがいろいろあるし、西洋式のレストランでなくても、中華料理レストラン、インド料理レストランにも、独特の分からないことがある。
人と一緒に行くと、皆、いろんなことを知っていることにマジで驚く。
皆、育ちがいいなあ(笑)。
映画『ゴッドファーザー』だったと思うが、その中で、詳しい状況は分からないが、若い男が、ごく若い女性と高級レストランで食事をする場面があった。
その若い男は、ひょっとしたら、そんな場所に不慣れなのかもしれなかった。
それで、男は注文を聞かれたら、女性が先に注文を済ませていた(私には訳の分からない注文内容だった)ので、「彼女と同じものを」と言う。
さらに、ウェイターが、飲み物や料理の仕方か何かで細かいことを聞いてきたが、男は「まかせるよ」と言う。
ウェイターは、畏まって下がる。
私は痺れた。こんな手があったんだ!(笑)
ところで、この若い男がそれで十分にサマになっていた理由は、若いながら貫禄があったからだ。彼は全く堂々と、「彼女と同じものを」「まかせるよ」と言ったのだ。
引き寄せの注文も似たところがある。
引き寄せの本には、欲しいものについて、細かいことまで指定しなくてはならないと書いてある場合が多い。
まあ、欲しい金額など、簡単に決められるはずのことについては決めた方が良いだろう。
しかし、決め難いこともある。
自動車にあまり興味がなければ、自動車自体は欲しくても、どんな車かとなると、せいぜい、セダンかワゴンかハッチバックで色は何色か程度のことで十分だろう。
恋人となると、美人で優しくて、後、スタイルに関する好みが少々あっても(笑)、いい加減と言うよりは、いろんなタイプの素敵な人がいる訳だし、また、本当に分からない部分も多い(だからいいんだ!)。
『その望みは宇宙がかなえてくれる』で、著者の女性ベルベル・モーアは、初めは、彼氏を宇宙に注文する際、条件をいろいろ付けていたが、条件通りの彼氏が出来ても、どうもしっくりこなかったので、しまいには、「私にピッタリの彼氏」と注文したら、確かに、ピッタリのが来た(笑)。
『ゴッドファーザー』での、若い男のレストランでの注文といい、ベルベル・モーアの宇宙への注文といい、注文する方が上位者であることが分かる。
究極では、王様は、いい加減な命じ方をしても、家来は、頭をフル回転させて、最適なことをやったり、最適なものを持ってくるのである。
まして、ベルベル・モーアが注文を出す宇宙は、全知全能なのであるから、何が最適かは、本人以上に分かるはずなのである。
そして、引き寄せの分野で世界的に高く評価されているフローレンス・スコーヴェル・シンは、「祈りは命令である」と言う。
キリスト教の毎日のお祈りだって、「日々の糧を与えたまえ」という命令形で行うのだ。
聖書にも、「私の手になるわざについて、あなたが私に命ずるのです」と書かれている。
この「私」は、おそらく、神であろう。
引き寄せで、願いを叶えてくれる存在は、いろいろに呼ばれる。
潜在意識、神、仏、宇宙エネルギー、宇宙の活力・・・何と呼んでも良いが、引き寄せのためには、それら無限の存在に命じなければならない。
「神や仏に命じるなど畏れ多い」と思うのは当然であるが、命令という言い方が嫌でも、やはり、堂々と「要求」しなければならない。
まあ、ベルベル・モーアのように、「私にピッタリの彼氏ちょうだい」「お城、ちょうだい」と、可愛らしく言っても良いのだが、命令、あるいは、要求であることに変わりはない。
1千万円欲しければ、「1千万円よ来たれ」と堂々と命じなければならないのだ。
「1千万円下さい」と卑屈にねだってはいけない。必ず叶えられるのは王様の命令なのだ。
昔、政木和三さんと一緒に、政木さんの研究所の近くのレストランに食事に行った時のことだ。
政木さんは、「私は注文をしたことがないのですよ。座って待っていたら、適当に作ってくれるのです」と言われた。
これこそ、いかなる要求も叶えられる王者の態度であると思う。
政木さんに引き寄せられないものはなかった。
まず、ナイフとフォークの使い方が分からない。
西洋人は箸を使うまでには進歩していないから困る(笑)。
レストランの高級さが増すほど、分からないことが多くなる。
いや、よく考えたら、高級でも何でもないレストランでも、分からないことがいろいろあるし、西洋式のレストランでなくても、中華料理レストラン、インド料理レストランにも、独特の分からないことがある。
人と一緒に行くと、皆、いろんなことを知っていることにマジで驚く。
皆、育ちがいいなあ(笑)。
映画『ゴッドファーザー』だったと思うが、その中で、詳しい状況は分からないが、若い男が、ごく若い女性と高級レストランで食事をする場面があった。
その若い男は、ひょっとしたら、そんな場所に不慣れなのかもしれなかった。
それで、男は注文を聞かれたら、女性が先に注文を済ませていた(私には訳の分からない注文内容だった)ので、「彼女と同じものを」と言う。
さらに、ウェイターが、飲み物や料理の仕方か何かで細かいことを聞いてきたが、男は「まかせるよ」と言う。
ウェイターは、畏まって下がる。
私は痺れた。こんな手があったんだ!(笑)
ところで、この若い男がそれで十分にサマになっていた理由は、若いながら貫禄があったからだ。彼は全く堂々と、「彼女と同じものを」「まかせるよ」と言ったのだ。
引き寄せの注文も似たところがある。
引き寄せの本には、欲しいものについて、細かいことまで指定しなくてはならないと書いてある場合が多い。
まあ、欲しい金額など、簡単に決められるはずのことについては決めた方が良いだろう。
しかし、決め難いこともある。
自動車にあまり興味がなければ、自動車自体は欲しくても、どんな車かとなると、せいぜい、セダンかワゴンかハッチバックで色は何色か程度のことで十分だろう。
恋人となると、美人で優しくて、後、スタイルに関する好みが少々あっても(笑)、いい加減と言うよりは、いろんなタイプの素敵な人がいる訳だし、また、本当に分からない部分も多い(だからいいんだ!)。
『その望みは宇宙がかなえてくれる』で、著者の女性ベルベル・モーアは、初めは、彼氏を宇宙に注文する際、条件をいろいろ付けていたが、条件通りの彼氏が出来ても、どうもしっくりこなかったので、しまいには、「私にピッタリの彼氏」と注文したら、確かに、ピッタリのが来た(笑)。
『ゴッドファーザー』での、若い男のレストランでの注文といい、ベルベル・モーアの宇宙への注文といい、注文する方が上位者であることが分かる。
究極では、王様は、いい加減な命じ方をしても、家来は、頭をフル回転させて、最適なことをやったり、最適なものを持ってくるのである。
まして、ベルベル・モーアが注文を出す宇宙は、全知全能なのであるから、何が最適かは、本人以上に分かるはずなのである。
そして、引き寄せの分野で世界的に高く評価されているフローレンス・スコーヴェル・シンは、「祈りは命令である」と言う。
キリスト教の毎日のお祈りだって、「日々の糧を与えたまえ」という命令形で行うのだ。
聖書にも、「私の手になるわざについて、あなたが私に命ずるのです」と書かれている。
この「私」は、おそらく、神であろう。
引き寄せで、願いを叶えてくれる存在は、いろいろに呼ばれる。
潜在意識、神、仏、宇宙エネルギー、宇宙の活力・・・何と呼んでも良いが、引き寄せのためには、それら無限の存在に命じなければならない。
「神や仏に命じるなど畏れ多い」と思うのは当然であるが、命令という言い方が嫌でも、やはり、堂々と「要求」しなければならない。
まあ、ベルベル・モーアのように、「私にピッタリの彼氏ちょうだい」「お城、ちょうだい」と、可愛らしく言っても良いのだが、命令、あるいは、要求であることに変わりはない。
1千万円欲しければ、「1千万円よ来たれ」と堂々と命じなければならないのだ。
「1千万円下さい」と卑屈にねだってはいけない。必ず叶えられるのは王様の命令なのだ。
昔、政木和三さんと一緒に、政木さんの研究所の近くのレストランに食事に行った時のことだ。
政木さんは、「私は注文をしたことがないのですよ。座って待っていたら、適当に作ってくれるのです」と言われた。
これこそ、いかなる要求も叶えられる王者の態度であると思う。
政木さんに引き寄せられないものはなかった。
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