企業に限らず、いかなる組織・・・たとえそれが学校でも、権限が増すほど責任は大きくなる。
権限が増すほど責任が重くなることを逆に言えば、その重い責任を果たせると見なされた者にだけ権限が与えられるし、その権限に見合う責任を果たせると認められなくては、権限は与えられない。
そして、これは人間界だけのことではない。
引き寄せが、全くそうであることに気付かない人が多い。
だから、どれほど、引き寄せのテクニックを身に付けたつもりでも、大きな引き寄せの力を使うためには、天地の精霊により、宇宙や万物に対して、その力に伴う責任を果たせる人物であることが認められなければならないのである。
よく、「この音楽を聴けば簡単に願いが叶う」とか、「この絵を見れば面白いように望みが叶う」なんてものがあるが、もし、その願いを叶えるための力に対する責任が取れない者に、そんな力が与えられるはずがない。
もし、責任を果たせない者に力が与えられるとすれば、それは低級霊の仕業(しわざ)であり、それは即ち、低級霊にもてあそばれるということなので、後で悲惨な結末になることを覚悟しなければならない。

責任を果たせる人間であることを、どうすれば示せるのかというと、これは相手が上司の場合も、精霊の場合も割と似ている。
1つには、言い訳をしないことだ。
まあ、これだけでも、見る目のある者には、あなたが人物であることが分かるはずだ。
そして、精霊は人間よりずっと、人間の本質を見透かす。
細かいことを上げればキリがないが、後1つだけ言えば、一休さんが遺言で言った通りだ。
つまり、「心配するな、なんとかなる」と思えることだ。
そりゃ、「なんとかなる」ことを「引き寄せ」と言うのだから当たり前だ。

あなたが、決して言い訳しない人間であることを示せば、精霊達はあなたに惚れ込み、進んで手助けしてくれる。
そうであるから、なんとかなるのであり、心配してはならないのである。
一応、精霊と書いたが、それは、天使とか、運命の女神であるかもしれない。
ただ、菩薩とか仏というのは、割と駄目なヤツを見過ごさない。
だから、ひたすら念仏を唱えても良いかもしれないが、
しかし、念仏をひたすら唱える者は、あまり言い訳せず、やがて、全く言い訳をしなくなり、そうなれば、心配などしないものである。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ