もしかしたら、何度か書いたかもしれないが、私は「駄目なやつ」に大変に興味がある。
だからもちろん、私自身に興味があるはずだが(笑)、人間、自分のことはなかなか分からない。
そこで、自分以外の、特に駄目なやつに注意を引かれる。
ところが、とことん駄目なやつを見ると、怒りのような不可解な感情が湧く。
どういうことかというと、どうしようもなく駄目なやつというのは、何か道を誤っているのだ。
人間は、本来は駄目ではなく、非常に立派なものなのだ。

たしかに、ちゃらんぽらんで、依存心が強く、勇気がなくて駄目なやつは多い。
しかし、真面目に勉強し、真面目に働き、努力をするけど駄目なやつだっている。
私は、両方見ているのだが、最近、その両者に共通するものがあることが理解出来てきた。
彼らには「正義」がないのだ。
・・・などと言うと、そっぽを向かれるかもしれないが(笑)、それは重要なことだと思う。
そこそこ優秀であるのだが、いくら口で立派なことを言っても、どこか安っぽく、品がなく、欲深にしか見えない者がいる。
そうだ、そいつには「正義」がない。

ところで、正義の定義は難しいかもしれないようで、正義をテーマにした難しい本がある。
しかし、その本が難しい時点で、それには正義は書かれていない。
「道徳」には、伝統や慣習が影響する。つまり、時代や場所で、何が「道徳」かは変わる。
ある時代の、ある場所では道徳的であったことが、別の時代の別の場所では不道徳になる。無論、その逆もある。
しかし、「正義」には、時代も場所も関係がない。
もし、時代や場所で変わるなら、それは正義ではない。

では、時代や場所で変わらない・・・銀河系でもアンドロメダでも、ビッグバン時でも宇宙終焉の時でも変わらない正義とは何か?
だから、言葉で定義出来ないんだって(笑)。
だが、それでは話が進まないことも確かなので、あえて言えば、正義とは「欲張らない」ことだ。
例えば、こんな感じだ。
ケーキを買いに行ったとする。
お店に行くと、美味しそうなケーキがいっぱいあって目移りする。
「あ、これ美味しそう。でもこっちもいい。いや、もっといいのがあるかも・・・」
しかし、最初の「あ、これ美味しそう」と思った時に、それに決めるのが欲張らないことで、それが正義なのだ。
駄目なやつというのは、それが出来ないのだ。
間違ってはならないのは、「早計に決めろ」と言っているのではなく「欲張るな」と言ってるだけだ。
欲張らすに、いろんなケーキをじっくり見れば賢くもなる。

正義がなくても、つまり、欲張っても裕福になる者もいる。
実名を挙げられるが、それは控えよう(例えば、バ〇ク・オ〇マとか 笑)。
しかし、彼らは、我々が想像も出来ないほど惨めだし、さらに今後、どれほどの悲劇を迎える派目になるか分からない。
だが、かなりの巨悪であっても、欲張らなければ、そこそこの地獄で済むのである。
贅沢やプライドも結構だが、ちょっと見返してやれれば、それで良いのである。
そして、それは、確実に出来るのだ。
ところが、欲張らなければ、かつて自分を徹底的に馬鹿にした連中を震え上がらせる程度にはなれるのである。








  
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