10年以上前のことだったと思うが、調査によれば、アメリカ人の半分以上が守護天使(ガーディアン・エンジェル)の存在を信じているというものがあった(どれほどの規模の調査かは分からなかったが)。
アメリカではキリスト教徒が多いはずだが、福音書の中で、イエスが、寄付をする時や断食をする時、あるいは、お祈りをする時は、隠れてやれと言っている。そうしたら、神が見ていて、ご褒美を下さるからだと言う。
つまり、善いことをしても、悪いことをしても神が見ているぞと言うのであり、キリスト教徒は、子供の時からそう教えられ、神の目を意識しているはずだが、天使が人間の行いを見ていて、それを神に報告したり、あるいは、天使が直接、褒美を与えたり罰したりするという考え方もあるのかもしれない。

日本では、「お天道様が見ている」という言い方をすることがあり、「お天道様(おてんとうさま)」は太陽のことだが、太陽と神を同一視する考え方があるのだと思う。
時代劇の『木枯らし紋次郎』で、数人の外道な男達が女の子を襲っていた時、紋次郎が、「お天道様が高い時に何やっていなさるんで」と言う場面があり、それで視聴者にはちゃんと通じたのだと思う。
太陽は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の象徴であるから、お天道様が一番恐い訳であるが、日本では、あらゆるものに神が宿っていると考えていた。いわゆる、八百万(やおよろず)の神である。

初音ミクさんの公式デモソングで、事実上のデビュー曲とも言える『星のカケラ』は実に良い曲で、近年ではライブで歌われることもあるが、その中に、

頬なでる柔らかな風が
そっと寄り添ってくれる
~『星のカケラ』 (作詞作曲編曲:平沢栄司。唄:初音ミク)より~

という歌詞があるが、これは、日本人には自然に受け入れられる感覚である・・・つまり、風にも神が宿っているのである。
私も、子供の時から、夏の夕暮れに吹くそよ風に、何か感慨深いものを感じていたものである。
『サイボーグ009』で、インディアンである005ことジェロニモがよく「風が騒いでいる」などと言い、自然の風の中に精霊のようなものを感じていたのかもしれないが、それは日本人にも通じるのではないかと思う。

インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』でも、至高神クリシュナが「私はあらゆるものに宿る」と言い、人間では心臓の中にいると言う。
心臓と言うよりは、心の中にいるのだと思うが、心臓が魂の座であるという考え方はあると思う。

これらのことは、懐かしくは感じるが、実感を伴わない人が多いかもしれない。
しかし、神というか、人間を超えた存在を身近に感じることが、人間を高い存在にするのだと思う。
それがなくなって来たことが、人間の堕落の原因かもしれない。
アメリカの大統領選挙を見ていると、選挙で大規模な不正を行い、露骨なまでに証拠が上がっていながら、それを無視、あるいは、強硬に否定する左派(リベラル派。民主党)、主要メディア、裁判官、ビッグテックを見ていると、人間がいかに神を畏れなくなってしまったかが分かり、恐怖を感じるほどである。
アメリカの公式標語が「我々は神を信じる」であったはずが、金しか信じないアメリカ人が増えてしまい、さらに、そんな者達が支配する世の中になってしまった。

民族により、やや趣は異なるかもしれないが、神を畏れる気持ちを忘れては終わりであると思う。
それは、案外に、人間である限り、共通する感覚なのであると思う。
だが、逆に、神を身近に感じているほど、放埓(勝手気まま)に振る舞うことは出来ないが、一般に幸運と呼ばれる神の恵もあるのだと思う。
1952年に出版された、ノーマン・ヴィンセント・ピールの『積極的考え方の力』は、神を身近に感じることを思い出させてくれる書であり、だからこそ、アメリカ人に偉大な魂を取り戻させ、3年の間、ベストセラーのトップになり、今日にまで愛読されるのだろう。
そして、今のアメリカはもう手遅れかというと、不正選挙に抗議し、首都ワシントンDCに何十万もの愛国者が集まって、神の国を取り戻そうとしているのを見ると、まさに今が正念場と思う。








  
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