夢想家と呼ばれるような人がいる。
空想している時間が多い人のことだ。
空想は、来るべき未来の思考シミュレーション(予測実験)で、子供のうちは、そのシミュレーションの練習だ。
だから、子供のうちは、ある程度は勝手気ままな空想をするのも良いが、それでも、子供のうちから、現実に基いた空想をするよう導いた方が良い。
大人が空想をするのも悪くはないが、現実に基かない空想を長時間・・・ことによれば1日中やっている者は、社会的に無価値であるし、幸福になれない。

『星の王子さま』に、現実に基かない空想に耽る愚かな大人たちが沢山出てくるだろう。
自分が「やんや」の喝采を浴びていると空想しているが、誰も彼を見ていないし、喝采を受ける価値など何もない哀れな大人。
別の愚かな大人は、世の中が自分の命令に従っていると空想しているが、彼の命令など誰にも聞こえない。
こんな大人が、我々の周りにも沢山いる。

空想自体は、悪くはなく、美しいものでさえあるのに、なぜ、愚かな夢想家としか言えない空想家がいるのだろう。
「馬鹿と天才は紙一重」と言うが、現実に基かない空想をする者が馬鹿で、現実に基いた壮大な空想をする者が天才だ。
精神病院の中で「俺はキリストだ」と言う馬鹿がいれば、人々には妄想としか思えない空想をしているが、それが実際には現実に基いていて、世界を変えるのが天才だ。
では、現実に基くか、そうでないかの違いは何だろう?
それは、「明確な目標」を持っているかいないかだ。
精神病院の中で、「私は宇宙の帝王である」と言い続けている者には、明確な目標がない。
だが、時には、平凡な人からは「狂人」「いつもおかしな夢を見ている人」と言われても、生命力に溢れ、世界に変革を起こす者は、明確な目標を持っている。

ところで、「俺はロックスターになる」という、一見、明確な目標を持った少年が沢山いる。
大多数は、自分がちやほやされて贅沢をしたいためにロックスターになるというものだ。
それは、明確な目標とは言えない、ただの空想だ。
だから、実際にロックスターになれない。
もう一方の、本当に明確な目標としてのロックスターを目指す少年には、何らかの高貴な想いがある。
その高貴な想いとは何かと言われても、それは、本人にしか分からない。
それがあるから、彼は本当にロックスターになる。
なぜ、そんな高貴な想いを持っているかというと、才能に恵まれたというよりは、何かに欠けているからなのだ。
普通の人なら持っているはずの何かが欠けている、あるいは、失われている。
明確な目標というものは、喉が渇いていないのに美味しいジュースを求めるのではなく、乾いている時に水を求めるようなものなのだ。
丁度、意外なことに、人気女優というのは、子供の時に、親にすら好かれていないと思っていて、人に好かれることに飢えているような人が多いのである。
渇きや飢えを満たすような目標には、生き甲斐があり、そして、叶う。
スティーブ・ジョブズが「ハングリーであれ、愚かであれ」と言ったのは、彼は、そのことに気付いていたからだ。








  
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