この世界の謎や、引き寄せを説明するには、パラレルワールド(並列宇宙。並行宇宙)を基にすると分かり易いし、逆に、そうでないと、分からないことが多い。
あなたは、同時に無数に存在する宇宙の中で、特に、この宇宙にフォーカス(焦点を当てること)している。
あなたがサッカーのスーパースターや、大会社の社長である宇宙ではなく、しがないサラリーマンであるこの宇宙を。
では、他の人はどうだろう?
ヒンズー教や、その影響を受けた仏教では、他人は存在しないとも言うが、その通りだ。
しかし、その言葉の正しい意味は、他の人は、少なくとも、あなたほどには、この宇宙にフォーカスしておらず、夢の中を生きているようなもの、あるいは、操り人形のようなものと言えるだろう。
アニメ『美少女戦士セーラームーン』の主題歌『ムーンライト伝説』で、
「同じ地球(くに)に生まれたの ミラクルロマンス」
という歌詞があるが、同じ地球と言うよりは宇宙だが、ここに生まれたのは、全人類のことを言っているのではない。
この宇宙にフォーカスしている者同士のことである。
セーラー戦士というのは、全員、この宇宙にフォーカスしているのだろう。
この宇宙に強くフォーカスしている者同士が、親友や恋人になるのである。
だが、夫婦となると、そうでない場合も多いので、夫婦だからこそ他人感が半端ない。
ただし、この宇宙にフォーカスしている者同士の夫婦なら、生き生きとした関係を続ける。
とはいえ、夫婦の片方が、途中で別の宇宙にフォーカスしてしまうこともある。
そうなると、やはり、「情熱が消えた」感が半端ない(笑)。
では、敵というものは、この宇宙にフォーカスしているかというと、そうである場合も、ない場合もある。
この宇宙にフォーカスしていない敵なら、滅ぼしても後ろめたさを感じない。
しかし、この宇宙にフォーカスしている敵に対しては、奇妙な友情を感じるものだ。
だが、戦いが避けられないと、戦い続けることが、苦しかったり、逆に、楽しかったりする。
格好の例が、ルパン三世と銭形警部だろう。
だから、『美少女戦士セーラームーン』の原作では、「敵はきょうだいのようなもの」と言ったのだ。
あなたがワープ的な変化をする場合、この宇宙にフォーカスを合わせている相手(親友や恋人の場合も多い)とは、ある意味「別れる」ことになる。
それが寂しい場合、なかなか変われない。
もちろん、一歩ずつ地道な変化をする場合は、この宇宙にフォーカスを合わせているソウルメイト同士は、ずっと一緒にやっていける可能性がある。
『カードキャプターさくら』の、『クロウカード編』で、桜がユエに負けた時に起こってしまう「この世の災い」というものがある。
桜が「地球がどっかーんってしちゃうの?」と聞くと、ケルベロスは、「ちゃうちゃう、そんなことあらへん」と言うが、その後、ケルベロスは暗い顔で、「人によっては、地球がどっかーんするより辛いことやけどな」と言う。
それは、「一番好き」が消える世界だ。
桜は、一度、その世界に行く。
そこでは、桜のことが好きでたまらないはずの知世が、桜を、ただの友達として扱っていた。
説明するなら、桜が元居た宇宙では、知世は桜同様、この宇宙にフォーカスしていたが、桜が一度移動した「一番好きが消えた」世界は、知世がフォーカスしていない宇宙だ。
桜が移動したままだと、桜が元居た宇宙では、知世は、桜が変わったことを感じ、やがて桜と別れるだろう。
まあ、知世の方で、桜がフォーカスしている宇宙に追っかけてくるような気もするが(笑)。
※上記の解釈は、作者のCLAMPの意図とは異なるかもしれない。
親友や恋人は、この宇宙にフォーカスしている者同士だが、いつか、相手の魂が抜けてしまう(相手が別の並列宇宙にフォーカスする)こともある。
そんな場合には、未練がましくしてないで、さっさと別れると良い。
あなたは、同時に無数に存在する宇宙の中で、特に、この宇宙にフォーカス(焦点を当てること)している。
あなたがサッカーのスーパースターや、大会社の社長である宇宙ではなく、しがないサラリーマンであるこの宇宙を。
では、他の人はどうだろう?
ヒンズー教や、その影響を受けた仏教では、他人は存在しないとも言うが、その通りだ。
しかし、その言葉の正しい意味は、他の人は、少なくとも、あなたほどには、この宇宙にフォーカスしておらず、夢の中を生きているようなもの、あるいは、操り人形のようなものと言えるだろう。
アニメ『美少女戦士セーラームーン』の主題歌『ムーンライト伝説』で、
「同じ地球(くに)に生まれたの ミラクルロマンス」
という歌詞があるが、同じ地球と言うよりは宇宙だが、ここに生まれたのは、全人類のことを言っているのではない。
この宇宙にフォーカスしている者同士のことである。
セーラー戦士というのは、全員、この宇宙にフォーカスしているのだろう。
この宇宙に強くフォーカスしている者同士が、親友や恋人になるのである。
だが、夫婦となると、そうでない場合も多いので、夫婦だからこそ他人感が半端ない。
ただし、この宇宙にフォーカスしている者同士の夫婦なら、生き生きとした関係を続ける。
とはいえ、夫婦の片方が、途中で別の宇宙にフォーカスしてしまうこともある。
そうなると、やはり、「情熱が消えた」感が半端ない(笑)。
では、敵というものは、この宇宙にフォーカスしているかというと、そうである場合も、ない場合もある。
この宇宙にフォーカスしていない敵なら、滅ぼしても後ろめたさを感じない。
しかし、この宇宙にフォーカスしている敵に対しては、奇妙な友情を感じるものだ。
だが、戦いが避けられないと、戦い続けることが、苦しかったり、逆に、楽しかったりする。
格好の例が、ルパン三世と銭形警部だろう。
だから、『美少女戦士セーラームーン』の原作では、「敵はきょうだいのようなもの」と言ったのだ。
あなたがワープ的な変化をする場合、この宇宙にフォーカスを合わせている相手(親友や恋人の場合も多い)とは、ある意味「別れる」ことになる。
それが寂しい場合、なかなか変われない。
もちろん、一歩ずつ地道な変化をする場合は、この宇宙にフォーカスを合わせているソウルメイト同士は、ずっと一緒にやっていける可能性がある。
『カードキャプターさくら』の、『クロウカード編』で、桜がユエに負けた時に起こってしまう「この世の災い」というものがある。
桜が「地球がどっかーんってしちゃうの?」と聞くと、ケルベロスは、「ちゃうちゃう、そんなことあらへん」と言うが、その後、ケルベロスは暗い顔で、「人によっては、地球がどっかーんするより辛いことやけどな」と言う。
それは、「一番好き」が消える世界だ。
桜は、一度、その世界に行く。
そこでは、桜のことが好きでたまらないはずの知世が、桜を、ただの友達として扱っていた。
説明するなら、桜が元居た宇宙では、知世は桜同様、この宇宙にフォーカスしていたが、桜が一度移動した「一番好きが消えた」世界は、知世がフォーカスしていない宇宙だ。
桜が移動したままだと、桜が元居た宇宙では、知世は、桜が変わったことを感じ、やがて桜と別れるだろう。
まあ、知世の方で、桜がフォーカスしている宇宙に追っかけてくるような気もするが(笑)。
※上記の解釈は、作者のCLAMPの意図とは異なるかもしれない。
親友や恋人は、この宇宙にフォーカスしている者同士だが、いつか、相手の魂が抜けてしまう(相手が別の並列宇宙にフォーカスする)こともある。
そんな場合には、未練がましくしてないで、さっさと別れると良い。
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