引き寄せの法則で叶う願望の範囲はどこまでか?
限界は一切ないが、制限はあるのか?
分かり易い例で言えば、不倫の願望でも叶えて良いのか?
それはあくまで一例であるが、「不倫は文化」などという戯言を支持するかどうかは別として、社会学の1つの説では、法的な規制がない限り、不倫は止められないものであるらしい。
つまりが、元々、人間は一夫一婦制に適合するように出来ていないということだ。
しかし、法律的、道徳的、倫理的、あるいは、宗教的には、厳しく非難される。
ところが、おかしなことに、科学だけが、それに同調しない。
それがどういう意味かは、考えても仕方がない。
単に、そういうことに関しては、科学より、法律、道徳、倫理、宗教、さらに、伝統や慣習がはるかに重要視されるというだけのことだ。

同性愛に関しては、昔は激しく非難され、法律で禁じる場合すらあったが、今や文明国では、それを非難することの方が偏見と言われるまでになっている。
だがまあ、不倫までがそうなるのは(なるとしたらだが)相当先の話かもしれない。
とはいえ、イエス・キリストの時代では、不倫は死罪もあり得、マリア(イエスの母)だって、ヨセフの態度如何では処刑されたと考える学者も多いが、それに比べれば、今はだいぶ緩くなり、「不倫は文化」という発言が称賛されることすらあるという訳だ。
では、ロリコンは、どうかというと、世界で5000万部を売り上げた(世界歴代22位)『ロリータ』の中に、そういったことも肯定される場合があるという証拠が、おそらく、著者のウラジミール・ナボコフの研究から示されている。

2400年のロングセラー『荘子』には、「善悪は立場の問題でしかない」と言い、中島敦の『名人伝』(『列氏』の引用と思われる)では、悟りを開いた弓の名人は「私には善と悪の区別がつかない」と言う。
CLAMPの漫画『魔法騎士レイアース』の主題は、「この世に絶対的な正義、絶対的な悪は存在しない」らしく、1つの世界を、自分の感情に従って滅ぼそうとした神官ザガートも英雄と見なされるかもしれない。
私は、ザガートは嫌いではないが、「もっと考えろよ」とは言いたいと思う(笑)。

結論として、やはり、悪というものを定義することは難しい。
そんなことをするよりも、ヒトラーのような者が現れた時、その被害に遭わないよう、引き寄せの法則をマスターした方が良いのではないかと思う。
むろん、引き寄せの法則を受け入れることが出来ない者には、それは妄言である。
それはつまり、引き寄せの法則を認めない者が、悪という概念を作り出しているとも言えるのではないかと思うのである。

悪がないと言うなら、盗んでも構わないのかといった極端論が出されることがある。
それに対し、キリスト教では「与えたものが与えられる」とし、「盗めば盗まれる」と教え、道徳ではなく、法則として「損だよ」と教えたとも考えられる。
だが、むしろ、「盗めば盗まれる」のではなく、「盗む者は既に自分から盗んでいる」のであり、だから、物質的にも精神的にも貧しいのだ。
また、引き寄せの法則では、盗まれる者も、盗まれる状況を自分で引き寄せたのだとされる。
納得しない人が多いと思うが、私は、その通りだと思う。
あなたは、引き寄せをマスターする限り、ロリコンもヒトラーも、あなたに害を及ぼすことはない。

『幻魔大戦』で、高校3年生の東丈は、深い劣等感や虐げられ否定されてきた屈辱や恨みから、ヒトラーになることを夢見ていた。
また、現代日本で、自分はヒトラーの再来だと言う、出版や映画界の大物もいる。
ある意味、彼らは、そんな状況を引き寄せた。
だが、正義というよりは、彼らは、ヒトラーよりも宇宙の法則を理解していたので、ことさらに悲惨を引き寄せなかっただけなのかもしれない。
2人とも、どこか純粋なところがあったのだ。
いや、ヒトラーだって、根は純情な小心者である。それに、当時は、今とは比較にならない偏見や横暴がまかり通っていた(だからといって擁護される訳ではないが)。
むしろ、彼の欠陥は、引き寄せの法則を正しく理解していなかったことだろう。
ヒトラーになるとまでは言わなくても、悪と見なされる願望が強ければ、東丈を参考にしたりして、賢くなることだ。
実を言えば、そんなプロセスを通った人間でなければ、世界は救えないのである。








  
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