あまりはっきりとは覚えていないが、新約聖書の福音書で、誰かがイエスに、
「悪いことをしてきた相手を何度許せば良いですか?7度ですか?」
と尋ねると、イエスは、
「その70倍許しなさい」
と答えた。
77回という解釈もあるが、まあ、無制限に許せという意味と思う。
いまどき、そんなことを言うと、
「そんなに許せるか!」
「しかし、あいつだけは許せん」
「一度でも許せない罪がある」
などという声が上がりそうだ。

だが、イエスが言う通りにすることは、別に高潔であるとか、偉いからというのではなく、断然お得なのである。
言い換えれば、人を許さないのは、恐ろしいほど損なのである。

まず、相手が自分に悪いことをしてきたのは、自分が引き寄せた・・・つまり、本当は、自分が相手にやらせたのである。
そうでなければ、そんなことは起こらない(相手が悪いことをしてこない)。
つまり、本当に罪があるのは自分だ・・・などと言ったら、怒られるくらいでは済まないかもしれないが、少なくとも私はそう思っている。
この部分から納得しない人が多いが、敢えて言えば、この通りなのである。
そして、悪いことをされたら、誰でも腹が立つ。つまり、不快な気分になる。
それは、凡人でも、聖者でも同じである。
だが、この宇宙の厳然たる仕組みというのが、
「良い気分でいれば良いことが起こり、悪い気分でいれば悪いことが起こる」
である。
これは、科学的(特に量子物理学的)、心理学的、宗教的、霊的・・・どれで言っても正しいと思う。
だから、本当に賢い人は、悪い気分になっても、すぐに気持ちを切り替えて良い気分になる。
少しくらい悪い気分になっても、すぐに悪いことは起こらないし、良い気分(の作用)の方が悪い気分(の作用)よりずっと大きな力があるので、良い気分になれば、悪い気分の影響を容易く消せる。
とはいえ、悪い気分を放置したり、それどころか、多くの人がそうするのだが、悪い気分にさせた悪いこと(相手がしてきた悪いこともそうだ)について集中して考え、さらに気分が悪くなる。
すると、次の、さらに悪いことが起こり、ますます、気分を悪くすることになってしまう。
この「悪いこと―悪い気分」ループが習慣になってしまっている人が多く、結果、お金はないし、好きな人には相手にしてもらえず、人が去っていくと・・・いうのが、当たり前になってしまっている。

人を許さないと、こんなに損なのである。
別に、悪いことをしてきた相手を好きになれとか、仲良くしろというのではない。
その相手のことや、その相手がした悪いことに意識を向けるのをやめて、楽しいこと、建設的な興味を持っていること、面白いこと、愛すべきことに意識を向ければ良いのである。
それで気分が良くなれば、その者がした悪いことの影響もなくなるし、忘れてしまう。
また、悪い問題に蓋をしろというのではない。
負債があるなら返さないといけない。
しかし、負債に対し、ネガティブな感情を起こすのではなく、楽々と返すことが出来るはずだと考えることだ。
そう考えて気分が良くなれば、実際にそうなるだろう。








  
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