若い人に限らず、
「ムカつく」
「落ち込んでいる」
「腹が立つ」
「悔しい」
と感じ、それを言葉にする。
それ自体は、まあ、仕方がない。
しかし、
「いつまでも腹の虫が収まらない」
「悔しくて眠れなかった」
「この恨み、忘れまじ」
「あの時、ああしてさえいれば(あの人がああしてくれれば)」
と思っているなら、それがたとえ愛すべき人であっても、救いようのない大馬鹿者、最低の愚か者だ。
賢い人は、常に自分の心を見張り、心が憎しみや恨みを感じていることに気付けば、即座に、それを恐れ、好きなもの、楽しいことを考えたり、そうなるようなことをするものだ。
これは、決して、善人は憎んだり、恨んだりしないといった、道徳的、あるいは、宗教的な理由ではない・・・いや、もし、それで本当に、悪い感情を消せるなら、それが最良なのかもしれないが、なかなかそうはいかないだろう。
そうではなく、憎しみ、恨み、怒り、妬み、あるいは、悲痛な感情を持ち続けることが、現実的に損だからだ。
喩えてみれば、頭に感情記録装置を取り付け、給料日にその装置の記録データをチェックされ、恨みや妬みといった感情が多ければ月給はマイナス10万円(つまり会社に10万円払う)で、幸福感が多ければ月給は百万円(あるいはもっと多額)であるというようなものだ。
もし、そうであれば、恨みなんか感じたら、別に「神の御心に背くから」ではなく、「給料が減るのは嫌だ」という理由で、「楽しいことを考えよう」となるだろう。
あるいは、「今月のペナルティーは、最悪、脚1本」となっているかもしれない。
まあ、本当は、マイナスの報いは、かなり軽く済むものだが、プラスの報酬は、気分で大きく変わるのである。
楽しい気分でいれば、素敵なあの人が高価なプレゼントを持って告白に来るが、嫌な気分でいれば、彼は、別の人にそうするだろう。
この世界は、ヴァーチャルワールド(仮想現実世界)のようなもので、幸不幸に関し、そのように、割とシンプルにプログラムされているのだと思う。
だから、自分の気分にいつも気を付け、悪い気分であれば、好きなもののことを考えたりして、気持ちを切り替えなければならない。
10分とか20分とかでもあれば、心を落ち着け、楽しい気分になれる、望ましい状況を静かに想像すると、さらに良いだろう。
ただ、良い気分は、あくまで、「幸福感」を感じるものでないといけない。
憎いあん畜生を殴り倒したり、大勢のイケメン男子に傅(かしず)かれたり、可愛い女の子を辱めて良い気分だと思っても、そんなことで、「幸せだなあ」と心の底から思ったりは出来ない。
そんな低レベルなことではなく、「幸せだなあ」と心から思える、心から期待すべき状況を想像することだ。
大学に合格することにしても、「これでやりたい勉強が出来る」という希望で嬉しいと思う時には幸福感があるが、「これで自慢出来る」といったような根性で嬉しい場合には、その時は幸福だと思っても、すぐに虚しさや、さらに見栄を張るためのものが必要になるという辛さしかないだろう。
あるいは、馬鹿な親が、子供が欲しがるものをどんどん与え、いい気分にさせてやっていると大誤解すると、悲惨なことになる(そんな人達が多いが)。
その子供は、自分の心を管理することを覚えず、しかも、次々に「ゴキゲン」になるものを与えられないと、被害者意識を持ち、怒りを爆発させるようになる。
甘やかされた犬も同じようなものだろう。
良い気分でいること、つまり、幸福感を感じることは、義務でも何でもない。
いつも悪い気分でいて、現実が悲惨になっても、他の誰にも関係ないからだ。
それが自分で作った運命である。
だが、もし、幸福になりたいなら、良い気分でいなければならないが、自分を良い気分にする責任は自分にしかないのである。
「ムカつく」
「落ち込んでいる」
「腹が立つ」
「悔しい」
と感じ、それを言葉にする。
それ自体は、まあ、仕方がない。
しかし、
「いつまでも腹の虫が収まらない」
「悔しくて眠れなかった」
「この恨み、忘れまじ」
「あの時、ああしてさえいれば(あの人がああしてくれれば)」
と思っているなら、それがたとえ愛すべき人であっても、救いようのない大馬鹿者、最低の愚か者だ。
賢い人は、常に自分の心を見張り、心が憎しみや恨みを感じていることに気付けば、即座に、それを恐れ、好きなもの、楽しいことを考えたり、そうなるようなことをするものだ。
これは、決して、善人は憎んだり、恨んだりしないといった、道徳的、あるいは、宗教的な理由ではない・・・いや、もし、それで本当に、悪い感情を消せるなら、それが最良なのかもしれないが、なかなかそうはいかないだろう。
そうではなく、憎しみ、恨み、怒り、妬み、あるいは、悲痛な感情を持ち続けることが、現実的に損だからだ。
喩えてみれば、頭に感情記録装置を取り付け、給料日にその装置の記録データをチェックされ、恨みや妬みといった感情が多ければ月給はマイナス10万円(つまり会社に10万円払う)で、幸福感が多ければ月給は百万円(あるいはもっと多額)であるというようなものだ。
もし、そうであれば、恨みなんか感じたら、別に「神の御心に背くから」ではなく、「給料が減るのは嫌だ」という理由で、「楽しいことを考えよう」となるだろう。
あるいは、「今月のペナルティーは、最悪、脚1本」となっているかもしれない。
まあ、本当は、マイナスの報いは、かなり軽く済むものだが、プラスの報酬は、気分で大きく変わるのである。
楽しい気分でいれば、素敵なあの人が高価なプレゼントを持って告白に来るが、嫌な気分でいれば、彼は、別の人にそうするだろう。
この世界は、ヴァーチャルワールド(仮想現実世界)のようなもので、幸不幸に関し、そのように、割とシンプルにプログラムされているのだと思う。
だから、自分の気分にいつも気を付け、悪い気分であれば、好きなもののことを考えたりして、気持ちを切り替えなければならない。
10分とか20分とかでもあれば、心を落ち着け、楽しい気分になれる、望ましい状況を静かに想像すると、さらに良いだろう。
ただ、良い気分は、あくまで、「幸福感」を感じるものでないといけない。
憎いあん畜生を殴り倒したり、大勢のイケメン男子に傅(かしず)かれたり、可愛い女の子を辱めて良い気分だと思っても、そんなことで、「幸せだなあ」と心の底から思ったりは出来ない。
そんな低レベルなことではなく、「幸せだなあ」と心から思える、心から期待すべき状況を想像することだ。
大学に合格することにしても、「これでやりたい勉強が出来る」という希望で嬉しいと思う時には幸福感があるが、「これで自慢出来る」といったような根性で嬉しい場合には、その時は幸福だと思っても、すぐに虚しさや、さらに見栄を張るためのものが必要になるという辛さしかないだろう。
あるいは、馬鹿な親が、子供が欲しがるものをどんどん与え、いい気分にさせてやっていると大誤解すると、悲惨なことになる(そんな人達が多いが)。
その子供は、自分の心を管理することを覚えず、しかも、次々に「ゴキゲン」になるものを与えられないと、被害者意識を持ち、怒りを爆発させるようになる。
甘やかされた犬も同じようなものだろう。
良い気分でいること、つまり、幸福感を感じることは、義務でも何でもない。
いつも悪い気分でいて、現実が悲惨になっても、他の誰にも関係ないからだ。
それが自分で作った運命である。
だが、もし、幸福になりたいなら、良い気分でいなければならないが、自分を良い気分にする責任は自分にしかないのである。
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人は、常に思考し続けていて、たった68秒ですらいい気分になれないのでしょうね。