著名なユング派心理学者の河合隼雄氏は、昔話(神話や童話)を深層心理学的に分析した本を書いておられたが、彼は、登場人物(主に小さい女の子)の精神的成長に着目していたと思う。
例えば、グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』では、初めは、妹のグレーテルは、弱くて泣いてばかりで、兄のヘンゼルに守られる存在だった。
しかし、ヘンゼルが悪い魔女に捕らえられてしまい、頼る者がいなくなった時、自ら、魔女をかまどに押し込んで殺すという攻撃に出るほど逞しくなった。
このように、子供の成長には、試練も必要である。

だが、昔話も、文豪の作品同様、「引き寄せの法則」の観点から解釈した方が、有益なものを得られる場合が多い。
グレーテルの不幸は、不意に訪れたものではない。
彼女の幼く、不安を感じる心は、自分の気分を良くする強さがなかったので、悪い状況を引き寄せたのである。
この宇宙は、「気分が良ければ良いことが、気分が悪ければ悪いことが起こる」仕組みになっている。
グレーテルの気分はずっと悪く、事態はどんどん悪くなり、頼りの兄も魔女の手に落ちた時、ついに、グレーテルは「しゃんと」して、戦う決意をする。
運命に立ち向かう決意をした時、人間は、最高に気分が良くなるのである。
そして、グレーテルは勝利を引き寄せた。

我々は、苦しい状況にある時、「しゃんと」しなければならない。
これは、コリン・ウィルソンが、『フランケンシュタインの城』や『右脳の冒険』で繰り返し主張していたことだ。
いかに自分の気分を良くしようと思っても、泣き言を言っていては駄目なのである。
コリン・ウィルソンは、「好みのタイプの美女が全裸でやってきた時のように元気を出せ」と言うが、これはあくまで、「そのように元気を出せ」と言っただけであり、エロチックな空想をしろと言ったのではない。
大切なことは、あくまで、苦難に立ち向かう決意である。
ただし、自分でなんとかしようとすると、空回りして自滅する。
宇宙を信じてまかせることである。とはいえ、「しゃんと」してね。

『白雪姫』も、引き寄せの観点から重要である。
なぜ、王妃が毎日、魔法の鏡に向かって、「この世で誰が一番美しいか?」と尋ねたのかというと、自分のライバルが現れることを恐れていたからだ。
その恐れが、白雪姫という、美しさで自分が太刀打ちも出来ない存在を生み出してしまった。
これも引き寄せである。
それ以前に、白雪姫の母のことも興味深い。
彼女は、真っ白な雪の上に自分の血が落ちるのを見て、「雪のように白い肌、血のように赤い唇、黒炭のように黒い髪」の娘のイメージが浮かび、それを強く欲した。
そして、その想いが、白雪姫を生み出した。完全な引き寄せだ。
だが、母が望んだのは、白雪姫の誕生だけであり、白雪姫と楽しく過ごす未来をイメージ出来なかった。
それで、目的達成と共に死んでしまった。
白雪姫も初めは弱い子で、継母の王妃にひどい目に遭わされるという不安を持っており、それが、自分が捨てられると言う不幸な状況を引き寄せた。
だが、上のグレーテル同様、危機的状況で彼女は、「しゃんと」して、気持ちを切り替えることが出来た。
そして、7人の小人を引き寄せた。
だが、小人達と暮らす平和な日々の中でも、白雪姫の心に不安が芽生え、ついに継母の王妃を引き寄せ、殺されてしまう。
ところが、これは、一種の自作自演だった。
白雪姫の本当の願いは、「王子様が白い馬に乗って迎えに来る」ことだった。
そのことを繰り返し想像し、それが実現したと感じて喜びと感謝を感じていた。
そして、それは成った。
ピンチこそチャンスである。
人間は、悪い状況にならないと、「しゃんと」して、気分を良く出来るだけの成長が出来ない。
その点、河合隼雄氏の指摘はやはり正しい。

この宇宙は、気分が良ければ、さらの気分が良くなることが、気分が悪ければ、さらに気分が悪くなることが起こる。
これが絶対的真理である。
我々は、何もする必要はないが、自分の気分にだけは責任を持たなければならない。
だが、何の波風も立たない人生はあり得ない。
必ず、悪い状況は起こる。
そんな時、「しゃんと」することで、宇宙のエネルギーを取り込み、状況を魔法のように変える。
そのために、無理にでも笑顔になり、ガッツポーズをし、あるいは、舌を大きく出せば良い。
それが、最も簡単に「しゃんと」する方法である。
そして、問題は必ず解決出来ること。なぜなら、我々の内には、世の中よりはるかに強大な力があることを認めれば、より容易く「しゃんと」出来るだろう。








  
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