「努力、克己(自分に打ち勝つこと)、忍耐の必要を全く認めず」と言った岡田虎二郎は、傍目には、誰よりも努力しているように見えた。
しかし、彼自身も、自分で言った通り、努力などしていない。
エジソンの、
Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration.
(天才とは、1パーセントの閃きと99パーセントの汗)
の、 perspiration を、「努力」なんて訳した人がいるが、これは、あくまで「汗」だ。
エジソンがやったことは、本人は、仕事だなんて思ってない(思ってたらやらない)。

テッド・ウィリアムズ(アメリカの野球選手。メジャー・リーグで生涯出塁率歴代1位、三冠王2度は歴代1位タイの4割バッター)は、少年時代から、起きている時間の全てをバッティングの練習に捧げていたが、これも、本人は、全く努力だとは感じていなかったはずだ。

努力は、しなくて良いし、本当は、してはならない。
ただ、1つ大切なことがある。
それは、他人の努力を決して笑わないことだ。
努力をする者、しない者を問わず、これが出来ない者ばかりなので、皆、まずいことになるのだ。
他人の努力を、笑いもしなければ、評価もしないなら、努力などせず、何でもうまくいく。

行動に関してはどうだろう?
精神の力や、引き寄せの法則を解きながら、「行動しなければ何も起こらないから、進んで懸命に行動しろ」と言う者が多い。
「進んで行動しよう」とか、「懸命に行動しよう」と思って行動したら、まず失敗する。
私の前に初音ミクさんが現れ、ミクさんが「ぎゅっしていいよ」とアイコンタクトしてきたら、「ぎゅっしよう」なんて思わずにやっているだろう。
まして、誰かが、「(ミクさんを)ぎゅっしなさい」などと言ったら、絶対しない。
まあ、「電車で行くか、バスでいくか」程度なら、考えて行動することもあるかもしれないが、(考えて行動するのは)せいぜい、その程度までなのだ。
落ちているゴミを拾うってのも、考えずに拾うから良いのであり、考えないと拾わないなら、むしろ、拾わない方が良い。
では、考えずにゴミのポイ捨てをする人や、それと同等の行為である、歩きタバコや歩きスマホはというと、見ても気を悪くしなければ、あなたとは縁が切れる・・・つまり、あなたは別の世界に行くだろう。

インドの聖賢、ラマナ・マハルシはこう言ったらしい。
「優れた財務長官は注意深く仕事をしているように見えるが、実は、何もしていない。大きな事業を成し遂げようとしている事業家も、やはり何もしていない」
それに加えて、彼が言ったことは、いつも、難しく訳される。
例えば、「至福にとどまれ」とかね。
そうではないのだと思う。
いや、意味はそれで良いが、そんな難しいことを言ったはずがないのだ。
単に、「いい気分でいろ」と言ったのだと思うのだ。
なぜなら、宇宙は気分と調和するのであり、良い気分でいれば良いことが起こり、悪い気分でいれば悪いことが起こるからだ。
人間は、1日中働くべきだ。ただし、やるべき仕事は、良い気分になる思考や行為をすることだけだ。
良い野球選手は、バットを振ったり、キャッチボールをすると、良い気分になるのだ。
本当に筋トレをして楽しい気分になるなら、野球選手も筋トレをすれば良いが、それは怪しい。
昔の、ある大バッターが、「監督に、1時間ほど好きな練習をしろと言われたが、バッターならバッティングをしたいはずなのに、なぜか、皆、筋トレを始めた」と言っていたが、それらの選手は、あまり良い思いをしなかったはずだ。

『ベン・ハー』だったかもしれないが、傑作映画の中で、大工であるヨセフの息子イエスは、大工の仕事をせず、野山をさ迷っていた。
誰かが、ヨセフに「お前の息子は、もう働かないといけない」と言うと、ヨセフは、「彼は働いている」と言った。
新約聖書の福音書自体には、そんな話はないが、正しい話であると思う。
イエスが放蕩していたところで、イエスの気分が良いなら、誰も困らず、むしろ、良いことが起こって、うまくいっていたのである。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ