たまには呪文の話をしようと思う。
本来は正しくないのだろうが、口や心の中で繰り返す言葉・・・念仏、真言(マントラ)、祈り、アファーメーション、唱え言葉なども、全て呪文とする。

どんな言葉を唱えるか、そもそも、呪文を唱えるか唱えないか?
それをどうやって決めるかというと、唱えて気分が良い言葉を選べば良いし、呪文を唱えて気分が良くならないなら、唱えなければ良い。
呪文は義務でも責任でもない。

法然という人は、1日中、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えていたらしいが、これは、修行なんかではなく、法然は念仏を唱えれば気分が良かったのだと思う。
ところが、弟子の親鸞は、念仏を肯定し、人にも薦めながらも、実のところ、自分は念仏を唱えても、そんなに気分は良くなかったのだと思う。
だから、親鸞は、「一度唱えれば良い」とか「唱えようという気があれば、唱えなくても良い」と言って、法然に怒られているらしい。
結局、親鸞というのは、「人間は元々救われている。それに気付けばOKだ」と言ったのだと思う。
これは、実に現代的で科学的だ。実際、その通りなのだからだ。
だから、念仏というのは、救われていることへの感謝であり、それは、必ずしも念仏でなくて良い。
つまり、「無限の力に守られ救われている。ありがたいなあ」と思えば良いのである。

YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の『LOTUS LOVE』には、「呪文」が出てくる。
それは、“I LOVE YOU”だ。
実際、この歌を聴いていると、“I LOVE YOU”が気分の良い呪文になるかもしれず、そう思ったら、どんどん唱えると良い。
ちなみに、『LOTUS LOVE』の初音ミクさんが歌うHMO(初音ミク・オーケストラ)バージョンが実に素晴らしく(YMO公認だそうだ)、これを聴くと、もっと、“I LOVE YOU”が気分の良い呪文になるかもしれない。

ベアード.T.スポールディングの『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、築5千年というある寺院は、昨日建てられたかのように完全なのだが、どこか壊れても勝手に直ってしまうという。
その秘密は、その寺院の中では「生命、愛、平和」という言葉しか使われないからだそうで、その言葉の波動に満ちると、そのようになるのだと思う。
よって、「生命、愛、平和」、あるいは、その中の1つでも良いが、気分が良ければ呪文にすれば良いと思う。
とこで、『波動の法則』(1995)の著者の足立育朗さんの2014年の著書『波動の法則 実践体験報告』によれば、「愛」より「調和」の方がずっとレベルが高いそうだ。
ただ、日本には、「和」という言葉があり、この一文字で「調和」「平和」の意味を持つし、これこそが「愛」であり「生命」であると言えるかもしれない。
「和」は「輪」(あるいは「環」)に通じ、円を意味するが、円は完全の象徴である。
だから、日本には「和を重んじる」「和をもって貴しとする」という言葉があり、「和」というものが、いかに重要であるかが解る。
松下幸之助も、「日本は和の国。和を忘れたら会社は倒産する」と言ったようだ。
そして、「和」一文字で日本を意味するが、日本という国自体が、元々「和」という名前であったらしい。
「和」だけで優れた呪文である。

アメリカの啓蒙家のクレメンストーンは「我々は豊かだ、我々は健康だ、我々は素晴らしい」という言葉をアファーメーションにしていたという話を、自己啓発ビジネスをしている社長から聞いたことがある。
アメリカの会社の中には、この言葉を皆で唱えているところがあり、多くは、なかなか盛り上がるのだそうだ。
それで気分が良くなるなら、大いに唱えれば良いと思うし、気分が良くないなら、遠慮なく、場を離れれば良い。
「豊かだ」「幸せだ」という言葉を呪文にしている人もいる。
アラン・パーカーの『小さな恋のメロディ』(これを原作とする映画が有名)の主人公ダニーは、「天国」という言葉が大好きなようだ。このように、人それぞれである。
唱えなくても、気分が良くなるなら、何かの時に思い出せば良い。
呪文とは、そんなものである。
「アジマリカン」と唱えて気分が良ければ唱えれば良いのであり、「これを唱えれば良いことがあるぞよ」と強要するようなものではない。








  
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