アラン・ドロン主演の映画『太陽がいっぱい』のラストシーンには、ずっと昔から奇妙な感覚があった。
あまりに奇妙に感じたせいもあって、ディテール(詳細)は覚えていないが、だいたいこんな感じだ。
立派な別荘の庭みたいなところで、アラン・ドロン演じるトム・リプリーは、デッキ・チェアにゆったり座り、日本語吹替だが「いい気分だよ」と言う。それは家政婦に言ったのかもしれない。
殺人、詐欺を重ねた完全犯罪に成功し、大金と自由を得たと確信したトムは、静かに勝利を味わっていた。
しかし、もちろん、そんなことが、上手くいくはずがない。
著名な映画評論家だった淀川長治氏は、この映画を400回以上見ても、見るたびに必ず涙を流すとテレビで言っておられた。
淀川氏には、かなり複雑な子供時代があったことが関係するのだと思う。

淀川さんが、いったい何に涙したのかは分からない。
しかし、なるほど、そう言われれば、泣けるかもしれない。
少なくとも、深い「無念」は感じる。
人間が最も快感を感じるのは、復讐が叶った時という話があるが、これは分かる気がする。
復讐というのは、ほぼ全て、歪んだ想いから起こる。
しかし、歪んでいるとはいえ、否定し切れない部分もあるはずだ。
つまり、親の仇、子の仇、恋人の仇、親友の仇・・・これらは、否定されるどころか、称賛されることすらある。
だが、やはり、許されることではないし、仮に首尾よく成し遂げたとしても、実際は、その「いい気分」は長続きしない。

貧しく育ったトムには、上流階級に対する恨みがあったはずだ。
その象徴たるドラ息子フィリップを殺し、彼の恋人を奪い、フィリップの親族を騙し、大金もせしめた。
子供時代からの恨みを晴らす、壮大な復讐は成ったかに見えた。
映画の宣伝では「青春の野望」といった表現を見たことがあるが、そんな言い方も出来るかもしれない。
「野望」という言葉の価値はかなり下落するが・・・

私が奇妙に思ったには、トムが最後に「いい気分だよ」と言ったことだ。
あれで「いい気分」になれるはずがない。
脳か心臓か太陽神経曹かは分からないが、いい気分の波動を発すれば、いい気分の状況を実現するはずだ。
しかし、トムを待っているのは悲惨な未来だ。
だが、深く考えると、こうも思えるのだ。
トムが願ったのは、刹那の「いい気分」だったのではないか?
勝てるはずのない、富を握る者達に、一矢どころか、大損害を与えたのだから。
金持ち達から、幸せを奪うこと。なるほど、それが出来れば、トムにとっては一瞬ではあっても最高の気分であろう。

トムが得たのは、モノクロの「いい気分」だった。
我々は、そんな、モノクロの「いい気分」を求めてはならない。
そして、トムだって、カラーの「いい気分」は得られたはずなのだ。
当然、我々にも得ることが出来る。
カラーで、明るく、大きな、いい気分の状況に心を向けることだ。
心が世界を創る。
そんな青空のような希望を持ち、「いい気分」でいれば、その人から発せられる高周波の波動は、必ずや幸福な世界を創造するだろう。
これが、科学のある宗教であり、宗教のある科学である。













当ブログ著者、KayのAI書。
ソニーが開発した、無料の優秀なディープラーニング型AI構築アプリケーションNNCを使い、楽しい実習を通して、自分で実用AIを作れるようになることを目指します。
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