世界的な細胞生物学者のブルース・リプトンは、専門分野で実績を上げて地位を築いた時でも、実は、自分は生命について、あまり解っていないことに気付いていたらしい。
その葛藤から彼が解放されたのは、たまたま、量子物理学の本を読んで、量子物理学の考え方を理解してからだという。
そして、自分の同僚も含め、ほとんどの生物学者は量子物理学を勉強していないので、生命についてあまり知らないのだと言う。
彼の著書、『「思考」」のすごい力』に、だいたい、そんなことが書かれていたように思う。

これは、生物学だけでなく、ほとんどのことがそうではないかと思う。
つまり、どんな分野であっても、量子物理学は大切なのだと思う。
ところが、巷にある量子物理学の本の面白くないこと(笑)。
「すぐわかる量子力学」「誰でもわかる量子力学」「楽しい量子力学」なんて本は多いが、解るかどうかより、とにかく、面白くない。
また、これは量子物理学に限らず、数学でも、文学でも、哲学でも、芸術でも同じだが、生半可に分かっているいるだけの者に、最悪な者が多い。
丁度、大学院あたりまで出て、優越感に凝り固まった連中だ。
だが、本当に実績ある人というのは、自分は大したことはないと思っている(解っている)し、自分の専門の肝心な部分を分かり易く話せるものだ。
まあ、確かに、「俺は専門知識ゼロだ。その俺に分かるように言え」と言う困った偉い人もいるのだが、それはそれで1つの個性と尊重し、結果的にはスルーするのだが、そんな人を見下す者は、やっぱり大したことはないのだ。

ところでなぜ、量子物理学の本が面白くないのかというと、著者が自分の立場で書いているからだと思う。
例えば、研究者や、教員と言うよりは狭い専門分野の研究者の養成を行う者としての立場で書いているが、そんなことは、ほとんどの読者には馴染みのない世界だ。
読者は、経理社員だったり、プログラマーだったり、ダンサーだったり、コックだったりするのだが、量子力学の本の著者には、そういったことが解らない。
だが、量子力学というのは、実感の伴わないことで説明されても、本質的に意味をなさないので、解り難いのである。
高名な学者の中にも、大工やトラック運転手を実際に職業でやったという者がいて、そんな研究者は、様々な立場の人の考え方がいくらかは見当がつくので、面白い本も書けるのだが、そんな研究者は有能で、企業から引く手あまたで本を書いている暇がない。
逆の言い方をすれば、本当に有能な研究者が指導する立場になると、「企業に行け。現場で役に立たない研究者など無能」と言うものなのである。

これは、本当の話かどうか知らないが、『ザ・シークレット』を書いたロンダ・バーンが、量子力学を熱心に勉強したので、エメラルド・タブレットの謎を解き、引き寄せが自由に出来るようになったと言っているらしいが、それは筋が通ったことである。
必ずしも、論理的理解が必要ではないかもしれないが、引き寄せをうまくやるには、理解があった方がよく、そのためには量子力学の理解が必要かもしれないと思う。
それで、どうやって量子力学をそれなりにマスターするかだが、私の場合、プログラミングを覚えるのと同じ方法でやった。
すなわち、「なるべく本をひらく」だけである。
15ヵ国語をマスターしたシュリーマン(「15か国語」には誇張があるらしいが)は、外国語の本を穴があくほど見つめるところから始めたと言われるが、実際は、リラックスして眺めていたのだと思う。
いかなる場所にも本を持ち歩き、なるべく開くことだ。
そうしたら、本の量子的情報が脳内に入ってくる・・・かもしれない(笑)。











当ブログ著者、KayのAI書。
現代のAIとは、どのようなものか?
それを知るためには、自分で作るのが一番です。
そのために、数学もプログラミングも難しいAI理論も必要ありません。
この本に書かれた、普通の言葉で分かる実習でAIツールの使い方を覚え、その後、やはり用意してある面白いテーマで応用力を身に付ければ、AIが分かるだけでなく、実際に自分でAIを作り、活用出来るようになります。
  
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