インドでは昔から、「私は彼である」、あるいは、「私はそれである」と言う言葉が使われることがあった。
この「彼」、あるいは、「それ」とは、神のことであるが、いろいろな意味で、神と直接言うのは避けているようだ。
しかし、「彼」では性差別的な感じがするし。「それ」では軽過ぎるように思う。人のことを「それ」などと言ったら失礼というものであろう。

だが、「私は神である」と言わず、「私は彼である」という言い方は良いと思える。
なぜなら、我々は、神とは何か(どんなものか)、実際には、ほとんど知らないからだ。
いや、神とは、全知全能・・・つまり、何でも知っていて、何でも出来る存在だと言う人もいると思うが、それでは、神話の中の神のイメージそのままでしかない。
そこで、そんな神の固定観念を露骨に引き起こさないよう、少々控えめに「彼」と言うのは、賢いことであると思うが、やはり、性差別的で納得がいかない(笑)。

そこで、もっと良い言い方がないかと考えたら、こんな話がある。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジが、師の聖者に「あなたは至高の実在である」と言われ、マハラジは、その言葉を忘れなかっただけで、修行は何もしなかったが、数年で悟りを開いた・・・つまり、自分が実際に、至高の実在であると本当に解った。
「至高の実在」は、人間に理解出来る中では、神を指す最も適切な言葉であると思える。
この言葉を呪文のように唱えなくても、忘れさえしなければ、だんだん、心が自然に浄化され、本当の意味の神になるのだろう。
とはいえ、別に、マハラジが大金持ちになったり、モテモテになったり、素晴らしい人格者になったというのではない。
相変わらず貧乏なタバコ屋の親父だったし、彼の弟子のラメッシ・バルセカールの本によれば、怒りっぽいただのじいさんだったらしい。そして、
「私は世間的には既に死んでいる」
「私が首をはねられたら? 首と胴体が別々になる。それだけのことだ」
と言う変人でもあった(笑)。
だが、同時代のインドの聖者・・・ラマナ・マハルシやジッドゥ・クリシュナムルティらと違い、無名であったに関わらず、彼の小さな家に世界中から人々が訪れ、やがて、彼とそれらの人々との対話が書籍として出版され、世界的ベストセラーになり、名を知られるようになった。

マハラジもある意味、人間に過ぎなかったが、貧しく育ち、ほとんど学校に行かず、大人になってからも質素に暮らしていた彼は、そこそこに暮らせることで満足だったのだと思う。
それでなんとなく思い出すのが、アメリカ1の人気画家で、絵もかなり売れていたのに、アトリエを持たずにキッチンの隅で、安い画材で描き続けたグランマ・モーゼスだ。
日本でも、伝説的な金持ちが「立って半畳寝て一畳」と、必要以上のものを欲しがらなかった話がよくあるが、進歩した人間は、贅沢に興味がないのだと思う。
だが、必要なら、世間的に大きな力を得ることも出来るのだろう。
マザー・テレサのようにだ。

「あなたは至高の実在」
これは、否定しようのない事実であり、呪文にする必要はないが、忘れずにいると良いと思う。
不条理とウイルスが蔓延する日本で、もう悟り以外に道はない・・・かもしれない(笑)。













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