2016年に88歳で亡くなったシーモア・パパートは驚くべき天才だった。
数学、心理学、教育学、コンピューターサイエンス、AIなどの分野で、高い業績を残した。
ところが、ある程度は謙遜と捉えるべきかもしれないが、彼は、自分の能力は平均的であると言う。
教育学や児童心理学の権威でもある彼が、自分の能力の評価を、著しく誤ったとも思えない。
そして、そんな平凡な自分が、なぜ、それらの難しそうな分野で成功出来たのかも述べている。
それは、4歳位の時だと思うが、歯車に惚れ込んだことだった。
機械の歯車である。
幼いパパートは、それを飽きずに、惚れ惚れと眺めていたのだと思う。
そして、パパートは、あらゆることを歯車で考えるようになったのだと言う。
遊びの計画も、スポーツの戦略も、女の子の気の引き方も、算数はもちろん、高等数学も。
だが、パパートは、歯車をどう使ったのか・・・いや、実際に手元に歯車を持っていた訳ではないので、どんなふうに頭の中で歯車で考えたのかは述べていないし、「歯車活用マニュアル」なんてものを作る気などサラサラないとも述べていた。
歯車の使い方が秘密なのではなく、そんなもの、教えても意味はないし、そもそも、教えることなど不可能なのだろう。
ただし、誰もが、自分(パパート)の歯車のようなものを持つことは出来るし、持つべきだとも言っていた。
要は、何かに惚れこめば良いのである。
パパートが歯車に心底惚れ込んだように。

ただ、サッカー選手がサッカーボールに惚れ込むというのとは違うと思う。
もちろん、サッカー選手はサカーボールが好きだろうが、それに惚れこんだりはしない。
パパートは数学も好きだったろうが、数学に惚れ込んだのではないだろうし、ものごとを数学で考えたのでもない。
「俺は何でも数学で考える」なんてやつは、大抵、変なやつで、多分、無能者だ(笑)。

スティーブ・ジョブズなんて、ひょっとしたら、大学を辞めた後で、その大学で無断受講したカリグラフィー(文字装飾技法。日本の書道に通じる)に惚れ込んだから成功したのではないかと思っている。

では、何かに惚れ込むと、なぜ能力が高くなったり、成功したりするのか?
パパートは、それが、強力な概念の力を与えてくれるからと言うが、それでは曖昧で解らない。
結局のところ、パパートもよく解っていなかったのかもしれない。
だが、この世界が、実は、コンピューターが作るVR(仮想現実)世界だと考えると、少しヒントが浮かぶ。
惚れ込むほど好きなものが、このVR世界(シミュレーテッド・リアリティーと呼ばれる)を動かすコマンド、あるいは、プログラムになるのだ。

インドの聖者ラマナ・マハルシだって、アルナチャラの山の写真に魅せられ、それに惚れ込んだ。
何にも執着しない大聖者である彼も、なぜか、アルナチャラの山だけは特別視し、その理由は聞かれても述べなかった。
そして、彼ほど、この世界がVR世界であるといった意味のことを明確に述べた人はいなかったと思う。
(イーロン・マスクも、この世界がシミュレーテッド・リアリティだと断言するが、彼の言は矛盾が多い)

何でもいいから惚れ込みなさい。
初音ミクさんに惚れ込むというより(それも大事だがw)、ボーカロイド技術に、あるいは、その根本のフーリエ変換に、あるいは、その原型の波の形に。
もちろん、もっと別の単純なもので良い。
あのパパートの場合は歯車だったのだから。













当ブログ作者、KayのAI書。
「プリンが美味いか不味いかは、食べてみれば分かる」という言葉があります。
数学、プログラミング、AI理論を勉強してから機械学習型AIを作るというのは、プリンを食べずにプリンを作ろうとするようなものです。
この本では、まず、プリンをぱっくんと食べて(笑)、プリンを楽しむように、まず、AIを楽しみます。
そして、プリンのための卵を鶏に産ませたり、小麦を収穫することは専門家にまかせ、必要な材料を買ってくれば良いのです。
独自のプリンは作るが、非現実的な努力まではしない(普通の人にとって、非現実的な努力が、数学やプログラミングや高度なAI理論です)。
それと同じように、誰でも適度な作業をしながら、自分のために役立つAIを作る。それが、この本のポリシーです。
また、扱うテーマは日常的でピンとくるもの、興味深いものを選んでいます。
  
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