いまだ、他人との距離を取ろうとしない人だらけだと思う。
昨日、親を大きな病院に連れて行ったのだが、こんなことがあった。
複数の診療室の前には、大病院らしく、広い待合場所に沢山のソファがあった。
私は、親が診療を受けている間、診療室から遠い、誰もいない場所に座っていた。
よほど混んだ時でもなければ、ここまで来る人はいないのだと思う。
ところが、私がそこにいると、2人連れの若い男性が、まっすぐ私のところまで来て、わざわざ真後ろのソファに座る。
周囲にソファはいくらでもあるのにである。
そこで、私は嫌味とは思ったが、即座に立って移動すると、彼らは、マスクはしていたが、「何なのこの人」といった目でこっちを見ている。
その後、彼らの様子を見ていると、もし、私があそこにいたら、肩から上がぶつかるほど、ふんぞり返って座っていた。
こんなことを思ってはいけないのかもしれないが、私は、こいつらは心底馬鹿だと思ったし、もし、銃を持っていたら、即座に射殺したい気分だった。
もちろん、そんなふうに思う私に問題がないとは言えないが。
実は、その後、その2人連れが帰っても、私の親の診療時間は長かったので、その空いているはずの場所にいたら、次々と人が来ては、なぜか私の近くに座り、それどころか、2人連れで来た人達が、わざわざ3人掛けソファの端に座っている私の隣に2人で座る。
感覚として感じるのは、私が親しまれているのではなく、私を物のように感じるのだと思う。
まあ、私は普段から軽く扱われる方なので(ついでにほとんど動かず、微かな呼吸の音も立てないので)、そこは私が悪いのかもしれないが、このご時勢、そこまで人にくっつくべきではないと思うのだが・・・あ、そうか、私は人に見えないのか、なるほど!(笑)。

さて、診療が終わると、大病院なので、別に事務処理の効率がそれほど悪くはないのだろうが(良くもないと思うが)、会計までかなり待たされることがある。
待合場所は広く、3人掛けの椅子が沢山並び、相当混んでても、それほど窮屈ではない。さすが大病院だ。
昨日は、それほど混んでいなかったので、端の方にある一画は、全く誰もおらず、私は迷わずそこの、前から3列目に座って待っていた。
そこで、信じられないことが起こる。
私の真後ろに、30代の夫婦と思われる男女が、私の真後ろに座り(本当に、他にいくらでも椅子はあるのだ)、大きな声で雑談を始める。
なるほど、私の存在など、まるで眼中にないようだ。
北杜夫さんの『怪盗ジバコ』に、「砂漠の中に1本の木があれば、小便をする時、必ずその木にかける。あなたは、自分はそうではないと言うかもしれなが、絶対にそうなのだ。よって、砂漠の木は必ず枯れる」と 書かれていたのを思い出す。なるほど、私は小便をかけられる枯れ木である(笑)。
私が即座に移動しても、彼らは全く何の変化も見せず、ここまでふんぞり返らないと座れないのかと呆れるほど脚を投げ出して座ってる。
きっと、小型UFOか天使が目の前に現れても、気付きもしないと確信させらるほどの鈍感さだ。

病院の行き帰りは、私の車を使ったが、人々の運転マナーもおかしい。
その位置で走ったり、その位置で止まったら、他の車の迷惑になるという走り方、止まり方を、親の遺言ででもあるかのように忠実にやる。
ましてや、他の車への配慮など、祖父の遺言でやってはいけないかのようだ。
簡単な例で言えば、信号前が2車線になっている場合、赤信号で先に左車線に止まる時は、やや左に止まると、右車線に入りやすい。
ところが、私が左車線で、右側に余裕を空けて止まっていると、後ろの車は、ほとんどの場合、私の車よりずっと右側に止まり、右車線ギリギリというのも普通だ。
まあ、他にも細かい例がいろいろ挙げられるが、人の粗探しをしているようで憂鬱になるから1例で止めるが、ほとんどのドライバーが他の車への配慮をしないことは確かだろう。

こんな状況を見ると、私は、日本はもう終わり・・・新型コロナウイルスで日本は滅びて良い、いや、滅ぼしてくれと、全く冗談でなく、本気で思ってしまうのである。
いや、こんな世界だから、神は新型コロナウイルスでいったん終りにしようとしているのかもしれない。
ただ、神に慈悲はあるだろうから、悔い改めれば救われるかもしれないが、その可能性はゼロである。
『まちカドまぞく』の、表向きはツンデレだが、愛に溢れた魔法少女、桃が優子に言ったことを思い出す。

何か世界に対してコメントとかある?
「何もかも壊したい!」とか、
「こんな世界、闇に呑まれてしまえ!!」とか

つまり、これが桃の、世界に対する想い・・・少なくとも、その一部であるのだろう。
私は全面的にそう思うが。
とはいえ、良い人も沢山いるに違いない。
きっと、新型コロナウイルスの力を借りて、そんな人達が済み良い世界が作れるに違いない。
ただ、そうなれば、無闇に他人に近付く者達は、今後(あくまで今後だ)、葬り去られるに違いない。本音を言うと、絶対そうなって欲しい。













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