人間の内部に隠された超人的能力を解放するためには、自意識(自我、顕在意識)をふっ飛ばせば良いのだが、それを最も容易く起こさせるのは生命の危機だ。
死の危険があることだから、なかなかみだりに使えないが、「大死一番」「死に物狂い」「決死」が、人間が持つ本当の力を解放することは、いまさら言うまでもない。
この方法を最も鮮やかに使ったものの1つが、私は「キンシャサの奇跡」と思う。
ザイール共和国(現在はコンゴ民主共和国)の首都キンシャサで1974年に行われた、ジョージ・フォアマン対モハメド・アリのプロボクシング世界ヘビー級タイトルマッチだ。
予想では、圧倒的に不利だったアリが8ラウンド、劇的な逆転KOで勝利を得た。
そして、これを言った人を私は知らないが、アリは見事に超人モードに入ることで、一瞬でフォアマンをKOしたのだ。
ではどうやって?
アリが、ロープ際でガードを固めてはいても、足を止めてフォアマンのパンチを受け続けることによってだ。
後にフォアマンは語っている。
「人間は耐える理由があれば痛みに耐えられる。あの時、アリには痛みに耐える理由があったんだ」
だが、理由があったって、フォアマンの殺人パンチを受ければ死ぬ。
さすがに顔を殴られれば、1発で倒れるから、アリは顔はガードしたが、ボディはかなり打たれた。
評論家は、フォアマンはパンチを打ち過ぎて疲れたところでアリの反撃を許したと言う。
しかし、フォアマンが打ち疲れるほど打ったのだ。
この時、アリは死を強く意識し、その刹那、内側の超人が表に現れ、フォアマンをノックアウトしたのだ。
フロイト的に言えば、意識が消えることで、無意識の中の生命エネルギーである「エス」が表出したと言えるかもしれない。
このように、アリは「死を使った」のである。
何が起きたか理解出来なかったフォアマンは一時的に精神錯乱を起こし、「薬を盛られた」だの「光を見た」だの、奇妙な発言をしたことはよく知られているが、後にフォアマンは、薬を盛られたことは否定し、光を見たことに対しては、それらしいストーリーを作って語るしかなくなった。

アリの「死の使い方」はアラブのテクニックかもしれない。
同等の方法は、五島勉氏の『ノストラダムス 死活の書』に、かなりうまく書かれている(この本は、舛添要一さんと竹村健一さんが推薦の言葉を書いている)。

死のテクニック以外で、能力を発揮する方法としては、ナポレオン・ヒルが「性エネルギー昇華」を提示している。
性エネルギーを浪費せず、溜めておくことで、いざという時に、そのエネルギーを取り出すのである。
『緋弾のアリア』の主人公、遠山キンジが、性的興奮の極地に達した時、「ヒステリアモード」という超人モードになるようなものだろうか?
いずれにしろ、キンジは、高校2年生という若さでありながら、普段、禁欲を保っているからこそ、そういったことも可能なのだろう。

もう1人、極めて特異な形で超人モードになれたのが、「魔法を使って治している」とまで言われた奇跡の精神科医ミルトン・エリクソンだ。
彼の治療法は、散々研究されているが、おそらく、大した成果は出ていない。
エリクソンの場合、元々死んでいたのだ。
彼は、17歳の時、ポリオに罹り、目玉しか動かせない状態になったが、ある時、医者の死の宣告(夜のことで、「朝まで持たない」と言われた)を受けている。
だが、エリクソンは死ぬのを止めたのだ。
こんな時に、人間は死を克服し、死を使えるようになえる。

ある有名な日本人コックの、こんな話がある。
第二次世界大戦中、シベリアで捕虜になっていたある夜、瀕死の重傷の日本兵がいて、ロシア兵は、朝まで持たないので、最後に何か食べさせてやってくれと言う。
そのコックは、林檎をパイナップル風に料理し、その日本兵に食べさせたが、その時、瀕死の日本兵は、「こんな美味いものが食べられるならもう一度生きよう」と思った。
そして、完全に回復してしまったのである。

こういったことの極意は、江戸時代の臨済宗の僧、至道無難(しどう むなん)が言葉にしてくれている。
「生きながら死人となりてなり果てて思いのままにするわざぞよき」
少し難しいだろう。
しかし、「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎(1872〜1920)は、これを、「自分を地下深く埋葬した気で生きよ」と教えたのである。
例えば、自分の墓を想像し、自分が消えた世界をイメージして、そこで自由自在に生きれば良い。
ただ、方法は無限にあり、そのうちの1つを持てば良いのである。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ