人間は、奇跡によって成功し、奇跡によって幸せになる。
つまり、平凡な日常の中に、予想しなかったことが起こり、運命が開け人生が変わるのである。

「この世で一番楽しいことは何か知っているかね?スピネル」
「何ですか?エリオル」
「予想しなかったことが起こることだよ」
~CLAMP『カードキャプターさくら』より~

「予期せぬことでさえあれば、起こることが最善だ」
~W.B.イェイツの戯曲『カルヴァリー』より~

私はプログラミングを覚えなければ、ロクでもない人生になっていたと思うが、プログラミングを始めたきっかけも奇跡だった。
営業の仕事をしていた時、少し前に会社を辞めていた同じ営業部の先輩だった人に偶然電車の中で会い(後にも先にも一度しか会わなかった)、彼が、「今、プログラマーをやっていて、営業の時と違ってやりがいがある」と言うのを、私は印象深く覚えていた。
私はその後転職した時の仕事は管理事務だったが、たまたま前の席だった技術課長が私と同じ大学の出身で(私は中退だが)、彼が私に「プログラムをやっておくと良い」と言ったのである。
その他にも、プログラミングを始める動機になる出来事が立て続けに起こったのは不思議なことだった。

フィリップ・フリードリヒ・ジルヒャー作曲の『ローレライ』(原詩はハイネ)の訳詩で、誰もが誘惑されずにいられない金色の髪の美少女ローレライのことが「奇(くす)しき魔が歌う」と語られている。
「奇しき」とは「普通とちがっている。めずらしい。すぐれている。ふしぎ。」「思いがけない。」ということで、それはやはり、「滅多にないこと」「奇跡」の意味が込められている。

若い時は、比較的よく奇跡が起こる。
なぜなら、若さとは危ういことで、その不安定さが奇跡を呼ぶのだ。
早い話、奇跡には冒険が必要である。
若くても危うさがない者、安定志向で冒険をしない者には奇跡は起こらない。
良い大学を出て、良い会社に入ったり公務員になって安定している者に奇跡が起こることはない。
奇跡を起こすには、ゆらぎが必要なのだ。

もっと
クラクラクラ クラクラさせてよ
ユラユラユラ ゆらぎを見せてよ
キラキラキラ きらめいていてよ
~『テオ』(作詞・作曲・編曲:Omoi。唄:初音ミク)より~

思想家の東浩紀さんは『弱いつながり』の中で、ゆらぎを起こす有効な手段として旅を挙げていたが、確かに、たとえパックツアーでも珍しい場所に行き、珍しいものを見ればゆらぎは起こる。
ゆらぎとは、非日常である。

一休さんの遺言は「心配するな。なんとかなる」だったという話がある。
どうにもならなくなった時の心構えとしての言葉であったと思う。
それは、「奇跡が起こるから大丈夫」という意味なのだ。
つまり・・・心配しなければ奇跡が起こるのである。
だが、その前に、心配したくなる危機がなければばらず、そのためには、冒険、ゆらぎ、非日常が必要なのだ。

変わったこと、新しいこと、非日常的なことをやって、ゆらぎを起こし、何が起こっても超然としている。
そんな人に奇跡はバンバン起こる。
どんな時も、「大丈夫」「奇跡は起きる」「ありがたい」を口癖にして落ち着いていると奇跡は起こるのである。
「神様の奇跡が起こる」と1日中唱え続けたホームレスが、頭に浮かんだ数字でロト6を買ったら1億円あたり、その後、いろいろあってローマ法王に会い、その後、また1億円あたったように。








  
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