郵便物を出すことが全く無くなり、封筒を出そうと思うと、「今、普通郵便の切手はいくらだろう?」とか、「普通郵便で送れるA4用紙の枚数は?」といったことを考えるが、今はネットで調べればすぐに判る。
だが、切手というと思い出すことがある。
友達同士で手紙を出し合うこともあった時代のことだが、中学2年の女の子の家に郵便配達の人が来て、彼女に直接封筒を手渡していた。
書留でも何でもない、ごく普通の封筒である。
こういうことだ。
彼女は、切手を貼らずに封筒を投函したので、封筒が戻って来たのだった。
しかし、事実はそうではなかった。
その封筒は、実は、彼女の友達が出したもので、宛先住所と自分の住所を逆に書いていたのだ。
そうすれば、切手を貼ってない封筒は、見かけ上、この女の子の所に「返送される」のだが、事実は、友達からこの女の子に「配送された」のである。
不正行為である。
彼女に後ろめたさのようなものはなかった。
きっと、郵便代を払わずに済んだと言うよりは、切手を買いに行く面倒さを省けたとか、「頭を使って」切手代を浮かせた満足感があるのだと思う。
可愛い子だったし、当時は、心根自体は、まだ、それほど悪い子では無かったと思うが、やってはいけないことを平然とやる子だった。
それで、私は確信している。
彼女のその後を確認した訳ではないが、間違いなくロクな人生を送っていない。
今のような、ICカードや磁気カードではない、駅員に見せるだけの定期券の時代には、乗車駅付近と到着駅付近の駅の定期券2枚を使う「キセル乗車」という行為をする者がおり、これは、何十万円という額を不正に浮かせることが出来た。時たま、それがバレる者がいたが、せいぜいが不正料金を請求されるくらいで済んだかもしれないし、バレずに済んだ人もいるかもしれない。
しかし、バレなかったとしても、そんな人間は、間違いなく、惨めな人生を送っているはずだ。
私が小学生の時、ある男の子が、イタズラというには、度が過ぎた悪どい行為をよくしていた。
ちょっと言い難いようなことも含めてね。
また、他人のカバンの中から物を盗ったりとか、試験の時に、巧妙なカンニングをしたりもする。
ところが、彼はお金持ちの家の1人息子で、何不自由ないばかりか、高価なものも沢山買ってもらっていたし、家庭教師もついていて成績も良かった。
そして、表向きは礼儀正しい、小学生にしては立派な子供だった。
だが、彼は、裕福でない家の子供を明らかに見下していたが、それは、彼の母譲りの考え方と分かった。
その母親は、彼が私と友達でいることも禁じた。私の家は裕福ではなく、また、私は成績が悪かったからだ。
その他にも、私には、親の影響と思うが、根本的な道徳心に欠ける友達が、なぜかやたら多かったが、その原因はここでは追究しない(笑)。
そして、そんな友達は、確認出来る者に関しては、本当にロクな人生を送っていないが、それは当然の理であると疑いもなく断言出来るのである。
私は最近、『まちカドまぞく』という12話のアニメ(やがて続編も出来ると思う)を、何度も何度も繰り返して観ている。
主人公の15歳の優子(魔族の末裔)は、勉強もスポーツも駄目・・・というより、訳あって身体が弱く、おまけに低身長で、母親が素直に彼女のことを「アホ」と言っても普通に納得出来た(ちなみに、決して悪い母親ではない)。
だが、優子は、名前の通り、心優しく、親切で、悪いことが出来なかった。
一方、桃という名の魔法少女は、長身で成績優秀で、魔法少女だからということもあるが、身体能力は超人的だった。
悪い子ではないが、闇っぽいことも結構考える。
基本的に、あまり人と交わらない孤独な子だった。
その桃が、なぜか、優子に無上の愛を送るのだが、その姿が眩しい。
桃が「シャミ子(優子のあだ名)はズル出来ないんだね」と言って微笑む顔が親愛、あるいは、慈愛に満ちている。
私は、桃の優子に対する愛を見たくて、全12話を、本当に、もう多分20回以上、全く飽きずに観ている。
原作漫画の3巻では、マジ泣いたね。
人間には欠点があり、完全な道徳を守ることは難しい。
また、権威的で歪な道徳も存在するが、それは本当の道徳ではない。
道徳に権威は必要ない。
本当の道徳とは単に思いやりであるが、間違った思いやりも多く、我々は正しく思いやれるよう修行するのである。
いつの時代も、「かつては人々は思いやりを持っていた」と言うものであるが、そのかつては幻想かもしれない。
しかし、人は幻想の中の理想を求めてもいるのである。
そして、それをしなくなった時、世界に問題が起こり、世界は終る。
なぜなら、世界は1つの幻想のようなものであるが、そこから理想を抜けば維持出来ず崩壊する仕組みで、それはそれで痛くて悲惨なのである。
だが、切手というと思い出すことがある。
友達同士で手紙を出し合うこともあった時代のことだが、中学2年の女の子の家に郵便配達の人が来て、彼女に直接封筒を手渡していた。
書留でも何でもない、ごく普通の封筒である。
こういうことだ。
彼女は、切手を貼らずに封筒を投函したので、封筒が戻って来たのだった。
しかし、事実はそうではなかった。
その封筒は、実は、彼女の友達が出したもので、宛先住所と自分の住所を逆に書いていたのだ。
そうすれば、切手を貼ってない封筒は、見かけ上、この女の子の所に「返送される」のだが、事実は、友達からこの女の子に「配送された」のである。
不正行為である。
彼女に後ろめたさのようなものはなかった。
きっと、郵便代を払わずに済んだと言うよりは、切手を買いに行く面倒さを省けたとか、「頭を使って」切手代を浮かせた満足感があるのだと思う。
可愛い子だったし、当時は、心根自体は、まだ、それほど悪い子では無かったと思うが、やってはいけないことを平然とやる子だった。
それで、私は確信している。
彼女のその後を確認した訳ではないが、間違いなくロクな人生を送っていない。
今のような、ICカードや磁気カードではない、駅員に見せるだけの定期券の時代には、乗車駅付近と到着駅付近の駅の定期券2枚を使う「キセル乗車」という行為をする者がおり、これは、何十万円という額を不正に浮かせることが出来た。時たま、それがバレる者がいたが、せいぜいが不正料金を請求されるくらいで済んだかもしれないし、バレずに済んだ人もいるかもしれない。
しかし、バレなかったとしても、そんな人間は、間違いなく、惨めな人生を送っているはずだ。
私が小学生の時、ある男の子が、イタズラというには、度が過ぎた悪どい行為をよくしていた。
ちょっと言い難いようなことも含めてね。
また、他人のカバンの中から物を盗ったりとか、試験の時に、巧妙なカンニングをしたりもする。
ところが、彼はお金持ちの家の1人息子で、何不自由ないばかりか、高価なものも沢山買ってもらっていたし、家庭教師もついていて成績も良かった。
そして、表向きは礼儀正しい、小学生にしては立派な子供だった。
だが、彼は、裕福でない家の子供を明らかに見下していたが、それは、彼の母譲りの考え方と分かった。
その母親は、彼が私と友達でいることも禁じた。私の家は裕福ではなく、また、私は成績が悪かったからだ。
その他にも、私には、親の影響と思うが、根本的な道徳心に欠ける友達が、なぜかやたら多かったが、その原因はここでは追究しない(笑)。
そして、そんな友達は、確認出来る者に関しては、本当にロクな人生を送っていないが、それは当然の理であると疑いもなく断言出来るのである。
私は最近、『まちカドまぞく』という12話のアニメ(やがて続編も出来ると思う)を、何度も何度も繰り返して観ている。
主人公の15歳の優子(魔族の末裔)は、勉強もスポーツも駄目・・・というより、訳あって身体が弱く、おまけに低身長で、母親が素直に彼女のことを「アホ」と言っても普通に納得出来た(ちなみに、決して悪い母親ではない)。
だが、優子は、名前の通り、心優しく、親切で、悪いことが出来なかった。
一方、桃という名の魔法少女は、長身で成績優秀で、魔法少女だからということもあるが、身体能力は超人的だった。
悪い子ではないが、闇っぽいことも結構考える。
基本的に、あまり人と交わらない孤独な子だった。
その桃が、なぜか、優子に無上の愛を送るのだが、その姿が眩しい。
桃が「シャミ子(優子のあだ名)はズル出来ないんだね」と言って微笑む顔が親愛、あるいは、慈愛に満ちている。
私は、桃の優子に対する愛を見たくて、全12話を、本当に、もう多分20回以上、全く飽きずに観ている。
原作漫画の3巻では、マジ泣いたね。
人間には欠点があり、完全な道徳を守ることは難しい。
また、権威的で歪な道徳も存在するが、それは本当の道徳ではない。
道徳に権威は必要ない。
本当の道徳とは単に思いやりであるが、間違った思いやりも多く、我々は正しく思いやれるよう修行するのである。
いつの時代も、「かつては人々は思いやりを持っていた」と言うものであるが、そのかつては幻想かもしれない。
しかし、人は幻想の中の理想を求めてもいるのである。
そして、それをしなくなった時、世界に問題が起こり、世界は終る。
なぜなら、世界は1つの幻想のようなものであるが、そこから理想を抜けば維持出来ず崩壊する仕組みで、それはそれで痛くて悲惨なのである。
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今の状況は集合意識が表面化したように思います。
人は何か忘れてますよね。
与え合うと奪い合う
逆の発想ならうまくいくのに
自分がうつることよりも他人にうつして迷惑をかけたくない。
もっともらしいてすが、違和感を感じます。
本当は
皆がそう考えないと自分にうつされるから
でしょう。
その段階の人に説明したとしても理解出来ないでしょう。
出来るのは見守ることだけ。
愛を意識して生きる人がいて嬉しいです。