人間が欲しいものには、愛、友情、安らぎ、お金など、いろいろなものがある。
だが、それらを得るのは、「力(パワー)」というべきものが必要だ。
それは、お金とか、地位とか、ましてや、学歴などといったものとは全く違う魂の力なのだが、それを得れば、お金でも地位でも思いのままで、学歴などは全く不要になる。
では、そんな本物の力、根本的で本質的な力、心の、そして、魂の力をどうやれば得られるか?
これは、やり方自体は簡単なのである。
単に、自分がやるかどうかだけだ。
そのやり方とは、一言で言えば、「自己制約」である。
つまり、自分に制約を課すのであるが、そのためのシンプルな方法が「自分に掟を課す」ことである。

強い力を持つ人間は例外なく、自分の掟を持っている。
例えば、自分の家にいてもスーツなど、しっかりした服装をするという場合もある。
他の人が、リラックスした・・・有体に言えばだらしない格好をし、「自宅なんだからいいじゃないか」と思っているのに、あえて自分に掟を課し、自宅ですら、自分の自由に制限を加えているのである。

戦国武将の上杉謙信は、戦(いくさ)において無敗であった。
彼は、いかなる大きな掟を課し、得られるはずの自由を自分で制限していたのだろう?
なんと彼は「女」を絶っていたのだ。もちろん、彼は人並・・・いや、あれほどエネルギッシュな男だ、超絶女好きであったと想像する。
そして、彼なら、どんな女でも思いのままであったはずだが、その羨ましい自由に自分で制限をかけたのだ。
もし、超大物になりたいなら、それほどの犠牲が必要であり、犠牲という対価を払うことなく大きな力は得られない。

神は、人間が自分に課した制約の倍の力を人間に与えるのである。
人間は皆、自分勝手に自由に生きたい・・・これを「放埓(ほうらつ。勝手きままなこと)に生きる欲望」」と言い、人間の持つ強い欲望だ。
美味しいものを好きなだけ食べたい。
好みの女(男)を無限に自由にしたい。
自分のわがままを押し通したい。
しかし、そればかりでは、神はその人間に力を与えない。

朝、7時まで寝ていたって生活に支障はないが、毎朝5時に起きるという掟を自分に課した者は、寝ていられるという自由に制限を加えた・・・つまり、制約を課したのである。
江戸時代の観想家(身体や顔の相で運命を鑑定する占術師)、水野南北は、「食の制限こそが人間に最大の力を与える」として、小食粗食を説いた。彼は、子供の時から飲酒し、姿醜く、性格は粗暴で、牢屋敷(今の刑務所)に入れられるような人間でありながら、厳しい食の慎みを実践することで、蔵を7つ持つ大長者になり、正妻は8人で、貴族にまで叙せられたという。また、当時としては異例の75歳まで生きた。

確かに、誰もが、水野南北のような厳しい食の制限を課すことは必要ではないかもしれない。
しかし、欲望のままに無制限に飲み食いする者は、その他のことで、よほどの厳しい掟を課し、それを絶対的に守らなければ大きな力は得られない。
普通は、食に関しては、エマニュエル・スウェーデンボルグのように、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」程度で十分であるが、その範囲では制限を課すべきと思う。
また、水野南北は、酒も大好きであったが、1日1合と制約を課していた。

私も、ささやかなことであるが、絶対的な掟で、自分に制約を課し、自分の自由に制限を加えている。
朝は、暮、正月関係なく、4時半に起床し、朝晩身体を鍛えているし、ちゃんとした食事は夜だけにし、満腹するまで食べることはない。
だが、全然足りないなあ(笑)。
これを機に考え直し、しっかりとした掟を持ち、大躍進を目指そう。よろしければ、皆様もご一緒に。








  
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