「大丈夫」という言葉を頭の中で唱える習慣のある者は、実力を発揮しやすく、粘り強く、困難に打ち勝てるという研究調査報告があるそうだ。
また、あるテレビ番組の調査では、「大丈夫」は、受験生が一番言われたい言葉だったが、受験生は不安を持っているだろうから、それを低減させてくれるのだと思う。
だが、「大丈夫」よりもっと雄大な、大物の言葉がある。
それは、「何とかなる」だ。
現在の、新型コロナウイルスの感染拡大について、「大丈夫」と言える者はいない。
「大丈夫」は、「根拠」を要求するところがある。
だから、例えば総理大臣が「大丈夫」と、根拠なしに言えば、「無責任」ということになる。
受験生が「大丈夫」という言葉を好むのは、「一生懸命勉強したから」という根拠があるからだ。
勉強を怠けた者が「大丈夫」と言ったら、それは駄目なやつだし、受験をナメていることになる。あるいは、馬鹿である。
このように「大丈夫」という言葉には、ある程度の努力が伴っていることが必要だ。
ところが、「何とかなる」はどうだろう?
ある意味、いい加減であり、脳天気だ。
ロクに勉強していない受験生は、「大丈夫」とは言い難いが、「なんとかなるさ」と言って受験したら、試験前にたまたま見た問題集の問題が出て合格してしまうことがある。(『神と人をつなぐ宇宙の大法則』に、物理学者と元裁判官の僧侶のそんな話がある)
新型コロナウイルスについて、総理大臣が「なんとかなります」と言ったら、即アウト(総理失格)だろう。
しかし、小泉元総理あたりがもし「なんとかなるでしょ」と言ったら、とても良いと思う。それを言えるほど大物であればだが。
そうだ、「なんとかなる」は大物言葉なのだ。
「大丈夫」は、人間の努力を、少なくとも、ある程度は要求する。
しかし、「何とかなる」は、そんなことはどうでも良いどころか、むしろ、人間のちっぽけな力を笑うような感じがある。
音楽を小室哲哉さんが担当した2001年のアニメ『サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER』で、こんな話があった。
004ことアルベルト・ハインリヒは、ドイツに戻り、元の仕事であったトラック運転手をしていた。
中年男のパートナーと一緒に、雪の山道を走っていたら吹雪に見舞われ、危険な状態になり、ついに走行不能に陥るが、2人はなんとか近くの無人の建物の中に避難出来た。
だが、中年のパートナーは仕事を失うことになると思って絶望し、しかも、どこにも行けない状況の中、食料もなく、死の危機である。
自暴自棄(じぼうじき。やけくそになること)になるパートナーに対し、ハインリヒは「なんとかなるさ」と微笑む。
すると、パートナーは「不思議だな。お前がそう言うと、本当になんとかなるような気がする」と言う。
そして、本当になんとかなる。
「なんとかなる」は、仏教で言う絶対他力で、人の浅はかな知恵や、ちっぽけな力を放棄し、流れに身をまかせるような感じであると思う。
そういうのを嫌う人もいるかもしれないが、世の中には、なるようにしかならないこともある。
そんな中、「なんとかなる」と言えば不思議と落ち着き、なんとかなるような気がしてくる。
新型コロナウイルスについても、なんとかなるものである。多分ね。
また、あるテレビ番組の調査では、「大丈夫」は、受験生が一番言われたい言葉だったが、受験生は不安を持っているだろうから、それを低減させてくれるのだと思う。
だが、「大丈夫」よりもっと雄大な、大物の言葉がある。
それは、「何とかなる」だ。
現在の、新型コロナウイルスの感染拡大について、「大丈夫」と言える者はいない。
「大丈夫」は、「根拠」を要求するところがある。
だから、例えば総理大臣が「大丈夫」と、根拠なしに言えば、「無責任」ということになる。
受験生が「大丈夫」という言葉を好むのは、「一生懸命勉強したから」という根拠があるからだ。
勉強を怠けた者が「大丈夫」と言ったら、それは駄目なやつだし、受験をナメていることになる。あるいは、馬鹿である。
このように「大丈夫」という言葉には、ある程度の努力が伴っていることが必要だ。
ところが、「何とかなる」はどうだろう?
ある意味、いい加減であり、脳天気だ。
ロクに勉強していない受験生は、「大丈夫」とは言い難いが、「なんとかなるさ」と言って受験したら、試験前にたまたま見た問題集の問題が出て合格してしまうことがある。(『神と人をつなぐ宇宙の大法則』に、物理学者と元裁判官の僧侶のそんな話がある)
新型コロナウイルスについて、総理大臣が「なんとかなります」と言ったら、即アウト(総理失格)だろう。
しかし、小泉元総理あたりがもし「なんとかなるでしょ」と言ったら、とても良いと思う。それを言えるほど大物であればだが。
そうだ、「なんとかなる」は大物言葉なのだ。
「大丈夫」は、人間の努力を、少なくとも、ある程度は要求する。
しかし、「何とかなる」は、そんなことはどうでも良いどころか、むしろ、人間のちっぽけな力を笑うような感じがある。
音楽を小室哲哉さんが担当した2001年のアニメ『サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER』で、こんな話があった。
004ことアルベルト・ハインリヒは、ドイツに戻り、元の仕事であったトラック運転手をしていた。
中年男のパートナーと一緒に、雪の山道を走っていたら吹雪に見舞われ、危険な状態になり、ついに走行不能に陥るが、2人はなんとか近くの無人の建物の中に避難出来た。
だが、中年のパートナーは仕事を失うことになると思って絶望し、しかも、どこにも行けない状況の中、食料もなく、死の危機である。
自暴自棄(じぼうじき。やけくそになること)になるパートナーに対し、ハインリヒは「なんとかなるさ」と微笑む。
すると、パートナーは「不思議だな。お前がそう言うと、本当になんとかなるような気がする」と言う。
そして、本当になんとかなる。
「なんとかなる」は、仏教で言う絶対他力で、人の浅はかな知恵や、ちっぽけな力を放棄し、流れに身をまかせるような感じであると思う。
そういうのを嫌う人もいるかもしれないが、世の中には、なるようにしかならないこともある。
そんな中、「なんとかなる」と言えば不思議と落ち着き、なんとかなるような気がしてくる。
新型コロナウイルスについても、なんとかなるものである。多分ね。
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そして「なんとかなる」は、なんだかホッとしますね。
ありがとうございます。