2400年ほど前に、中国に実在したと考えられている荘子(あるいは荘周)という人物が書いたとされる『荘子』に、アイタイダ(哀駘它)という、興味深い男が登場する。
およそ、取り得や美点は何もないばかりか、極めて醜い男である。
ところが、この男が、いかなる男にも女にも慕われ、若い娘であれば、妾でもいいから側にいたがる。
ある国の国王は、アイタイダを召抱えると、1ヶ月ほどですっかり惚れ込み、宰相(総理大臣)にしてしまうが、アイタイダは黙って消えてしまい、国王はすっかり意気消沈してしまう。
もちろん、想像上の人物であるが、荘子は、それなりの意図や信念を持って、こんな男を描いたに違いない。
荘子は、『荘子』の「徳充符(とくじゅうふ。徳充ちたるしるし)」編で、孔子の口を借りて、アイタイダがどんな人物かを語る。
だが、その孔子の説明が長ったらしい。
結局、アイタイダは、『荘子』全編で、荘子が理想とする人間の姿を体現しているのだ。
その理想の人間の特質を一言で言えば「受容性」である。
受容性とは、あるがままに受け入れることで、アイタイダは、最高の受容力を持ち、いかなることも、あるがままに受け入れるのである。
つまり、アイタイダの力は受容力である。

最高の受容力を持った者は、文句を言わないし、批判をしない。
意見を聞かれたら答えるかもしれないが、それは、素直に思ったことを言うだけで、その意見が称賛されようが、否定されようが、全く気にとめない。
楽しいことや嫌なことがあったら、一瞬は、喜んだり悲しんだりするかもしれないが、すぐに忘れる。
荘子は、「応帝王」編で、真に優れた人間の心を、「来るものはそのまま映すが、去ってしまえば何の痕跡も残さない鏡のようなもの」と述べている。
アイタイダの心は鏡のようなものである。

もっと日常的な言葉で言えば、アイタイダは「一切のこだわりを持たない人間」である。
そんな人間は、よほど修行を積んだ人間と思うかもしれないが、修行等は一切不要である。
何が人間をこだわらせるかと言うと、実はそれは、「頭の中のひとり言」である。
例えば、スマートフォンは絶対にアイフォンでないと駄目だと思っている人の頭の中では、「スマートフォンはアイフォンでなければならない」というひとり言が繰り返されているのである。
頭の中で、「目玉焼きには醤油だ」というひとり言が繰り返されている人の目玉焼きにソースをかけようものなら、激怒されかねない。
科学的研究によれば、頭の中では、1分間に300から1000の言葉がつぶやかれているらしい。
そして、そのつぶやきの大部分が、どうでもいいことや、マイナスの影響のある言葉であり、もし、このつぶやきを消せれば、たちどころに超人になる。
アイタイダの頭の中にひとり言はほとんどなく、彼は本当は超人のはずだ。

頭の中のひとり言を打ち消すには、「大丈夫」などといった言葉を意図的に頭の中でつぶやくと良い。
実際、過酷な状況で打ち勝てる人間について研究をしたら、そんな者達は、頭の中で「大丈夫」等の肯定的な言葉を唱える習慣があったという。
「絶好調」でも「ツイてる」でも「ありがたい」でも、好きな言葉で良い。
そんな言葉を、ずっと唱え続けると、やがて、頭の中の否定的なひとり言は消え、受容性が高まり、アイタイダのように誰にも慕われるようになるに違いない。
まして、あなたはアイタイダと違い、イケメンだったり可愛いのであるから、肯定的な言葉の力は即効性があるかもしれない。
そして、「生命、愛、平和」という言葉を数多く繰り返せば、それは魂に働きかけ、心のひとり言を完全に消滅させると思う。








  
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