人間とは、バリアが欲しいものである。
バリアとは、ご存知とは思うが「防護壁」のことである。
アニメなどで、敵の攻撃を受けた時、バリアを張ると、その攻撃が跳ね返されるのを見て、何か心トキメクものを感じなかっただろうか?
子供の時だって、この世には、凶悪な人間や団体が沢山あり、もし、そんな者達に襲われたら、抵抗のしようがないことが解っていたと思う。しかし、バリアーがあれば安全である。
そんなものが本当にあればいいなあ・・・と思うのである。

長く人気を保っているアニメに『新世紀エヴァンゲリオン』があるが、使徒と呼ばれる敵の巨大ロボット達は、ATフィールドと呼ばれる強力なバリアを持っている。
このアニメの人気が高い理由は、綾波レイの魅力もあるが、ATフィールドへの憧れも大きいのである。
ATフィールド(Absolute Terror Field;絶対不可侵領域)は、物理的攻撃を跳ね返すものであるが、人間の心の壁も意味するようだ。
人間の心の壁とは、「思考が読まれない」というのが究極の意味としても、「プライバシーの保護」の意味合いもあると思う。公的・私的な「知られたくないこと」は、絶対に知られないようにしたい。
しかし、現代は、企業も政府も、自分達のことはバリアの内側に隠すのに、我々一般庶民のプライバシーは丸裸にしようとしている。いや、事実上、もうなっている。
マイナンバーを付与され、活動の全てを覗かれ、逆らえないようにし、逆らうと、さらにプライバシーを晒すという暴力が行われている。
支配者は、我々がプライバシーを隠すことを許さない。
ATフィールドは、そんな「プライバシー侵入暴力」からも我々を守ってくれるだろうか?

ところが、障害者や外国人が入って行きにくい場所をなくすことを「バリアフリー」とか言って、バリアの意味をすり替えてしまおうという動きがある。
それによって、守らねばならないもの、つまり、プライバシーを守る権利も奪い去ってしまおうという腹なのである。
部外者、異端者を排除するのは偏見であり、偏見とは、実体のない価値をあると思わせる幻想である。
一方、バリアとは、従来、大切なものを守るためのものとして使われてきたのだ。
この両者を混ぜこぜにしてはならない。

障害者や老人、善良な外国人を近付けないものをバリアと言って、それを壊せば、凶悪犯罪者やテロリストもどんどん入ってくる。
そうではなく、我々が除かねばならないのは、偏見である。
障害者や老人が自分より劣っているという偏見、外国人が理解出来ないものだという偏見だ。

ただし、邪悪なもの・・・政府や企業のプライバシー強奪攻撃には、バリアを持たねばならない。
だが、個人のATフィールドを持つためには、まずは、自己顕示欲をなくさねばならない。
プライバシーのほころびは、見栄から来ることが多いのである。
個人的には、Facebookのような実名登録が必須のものは、やめた方が良いと思う。特に若い人は。Facebookは、その範囲だけでなく、そこからプライバシーに大きなほころびを作るのである。
マイナンバーは出来る限り使ってはならない。便利な面があると思えても、失うものが半端ない。

後は、潜在意識に守ってもらうことだ。
ジョセフ・マーフィーの本に書かれているが、ある刑事は、何度も凶悪犯に狙撃され、その中には、至近距離から撃たれたこともあったが、全く無事だった(マーフィーのどの本だったかは忘れたが、同じようなことはどの本にも書かれていると思う)。
その刑事は、神の完全な鎧が自分を守っていると、常に自己暗示をかけていたのだ。
おそらく、言葉で「神の全き鎧が私を守っている」「私は不死身だ」などの言葉を、それぞれ千回以上唱えたのだ。
言葉は千回言えば精霊(言霊)となり、活動する。それを知ることである。








  
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