何事も、習得にかける時間は短いほど有り難いはずだ。
これは、辛い修行や訓練は少ないほど嬉しいということと共に、ダラダラ時間をかけてはいけないという前向きな意味もあるだろう。
それに、驚異的に短い時間で学習を終える技術には、実際に優れているものもある。
だが、空手などの格闘技教室で、「君も一ヶ月で強くなる」などというものは、単に客としての生徒を集めて儲けてやるぞという意図しか感じない。
英会話でも、ある教室や教材が「3ヶ月で」と宣伝すれば、「よし、うちは1ヶ月だ」となり、あんまり短いと嘘っぽいので、「1日20分」など、とにかく「楽である」ことをほのめかすが、実際のところ、短期間で英会話をマスターした人など見たことはないばかりか、高い英語教室に何年もかかってサッパリなのに、英語教室に通う生徒は相変わらず多い。
プログラミングも、やはり、「1ヶ月でマスター」があれば「1週間で習得」が出て、「3日」「10時間」とエスカレートし、そろそろ、カップ麺が出来るまでの3分が出てこないか楽しみ・・・じゃなく、心配である。
そういえば、昔、カップ麺で「3分はもう古い。うちのは1分だ」というものが出たことがあった。まあ、なくなってしまったのだと思うが。
Googleの開発者でAIの著名な開発者にして超一流プログラマーでもあるピーター・ノーヴィグが言うように「プログラミングの習得には10年必要」というのは、少々高いレベルの習得を指すが、上級者になるには、やはり5年くらいはかかると思う。そして、5年でかなり出来るようになっても、やはりまだ未熟で、向上心があれば、10年でより良いプログラマーになれる。
私など、10年の頃はダメダメだった。
最初にも述べたが、ダラダラ時間をかけない短気集中にも良いところはあるが、短い期間で習得したことというのは、やはり底が浅いのである。
限度はあるが、多少はダラダラやって、期間をかけることに意味があることは多い。
というのは、私の場合、プログラミングしか分からないが、プログラミングの重要な教訓というものは、案外に偶然の出来事で学んだことが多く、そういったことは、自分の意志ではどうにもならない。確かに、向上心があるから、良いものがやって来た時に気付くとか、あるいは、良いものを引き寄せるということもあるだろうが、やはり、ただの偶然にしか思えないものもよくあり、それを得るには、いろんな意味でだが、時間が必要だったと思うのである。
ちょっと話は変わるが、アニメの「プリキュア」シリーズは、もう15年も続いているらしい。
私は、最初の『ふたりはプリキュア』しか見ていないが、良い作品であったし、今年7~8月に、NHKが人気投票を行ったところ、歴代人気1位が、初代の『ふたりはプリキュア』で、ヒロインであるプリキュアとしての人気は、1位が、やはり初代のキュアブラック(美墨なぎさ)で、2位が同じく初代のキュアホワイト(雪城ほのか)だったらしい。私はほのかが好きである(聴いちゃい!)。
ところが、映画の『ふたりはプリキュア Max Heart 雪空のともだち』で問題が起こっている。
敵の催眠術で心を操られたキュアブラックとキュアホワイトが戦うというもので、その状況を理解出来ない小さな子供が泣き出し、子供達の保護者(いわゆるPTAか)が、プロダクションに猛抗議を行ったという。それで、以降、プリキュア同士の戦いは厳禁となった。
実は、そのシーン、心を操られ、お互いを攻撃しながら、プリキュア達は涙を流すという感動的なものであった。
いろんな考え方がある・・・と言いたいが、これは保護者達の方が悪い。
今の日本では、子供が泣くと、面倒なので、早く泣き止めさせるため、お菓子を与えたりを平気でする。それで、子供たちは、泣いたら勝ち、ごねたら勝ちという楽勝(?)パターンを身に付けてしまう。まあ、「今」というほどではなく、何十年も前からそうであるから、10年以上前の親たち自身がそうであったのだ。
さらに、当時の親たちは既に、最初に述べた、「短い時間で楽に習得」で育った世代でもある。
いくら小さくても、子供が悲しくて泣いたら、時間をかけて必要なことを教えてあげないといけないのに、アニメ制作会社に文句を言って「子供を泣かせるものを作るな」で、まるっと問題解決という安直な思考パターンなのだ。
海外では、小さな子供の目の前で親が殺されるなんて場所はいくらでもある。そんな時、親を殺した敵を皆殺しにすればOKという考え方もあると同時に、根本的な問題を解決しなければならないと、時間をかけて教えてあげる人達も少なくない。
それは、豊かな国である日本が最初にしなければならないのに、何とも残念である。
心理学者の河合隼雄さんの本にあったが、登校拒否の子供を持つ父親が河合さんに「先生、子供が学校に行くようになるスイッチってありませんか?」と尋ねたらしいが、その絶望的な愚かさに、私は気が滅入ってしまった。
安直思考が進むと、当事者意識、そして、責任感というものが全くなくなることを示されてしまった。
楽を求めることは悪いことではない。
だが、楽をしてはいけないこともある。心と、それに、力が関わる問題はそうである。
これは、辛い修行や訓練は少ないほど嬉しいということと共に、ダラダラ時間をかけてはいけないという前向きな意味もあるだろう。
それに、驚異的に短い時間で学習を終える技術には、実際に優れているものもある。
だが、空手などの格闘技教室で、「君も一ヶ月で強くなる」などというものは、単に客としての生徒を集めて儲けてやるぞという意図しか感じない。
英会話でも、ある教室や教材が「3ヶ月で」と宣伝すれば、「よし、うちは1ヶ月だ」となり、あんまり短いと嘘っぽいので、「1日20分」など、とにかく「楽である」ことをほのめかすが、実際のところ、短期間で英会話をマスターした人など見たことはないばかりか、高い英語教室に何年もかかってサッパリなのに、英語教室に通う生徒は相変わらず多い。
プログラミングも、やはり、「1ヶ月でマスター」があれば「1週間で習得」が出て、「3日」「10時間」とエスカレートし、そろそろ、カップ麺が出来るまでの3分が出てこないか楽しみ・・・じゃなく、心配である。
そういえば、昔、カップ麺で「3分はもう古い。うちのは1分だ」というものが出たことがあった。まあ、なくなってしまったのだと思うが。
Googleの開発者でAIの著名な開発者にして超一流プログラマーでもあるピーター・ノーヴィグが言うように「プログラミングの習得には10年必要」というのは、少々高いレベルの習得を指すが、上級者になるには、やはり5年くらいはかかると思う。そして、5年でかなり出来るようになっても、やはりまだ未熟で、向上心があれば、10年でより良いプログラマーになれる。
私など、10年の頃はダメダメだった。
最初にも述べたが、ダラダラ時間をかけない短気集中にも良いところはあるが、短い期間で習得したことというのは、やはり底が浅いのである。
限度はあるが、多少はダラダラやって、期間をかけることに意味があることは多い。
というのは、私の場合、プログラミングしか分からないが、プログラミングの重要な教訓というものは、案外に偶然の出来事で学んだことが多く、そういったことは、自分の意志ではどうにもならない。確かに、向上心があるから、良いものがやって来た時に気付くとか、あるいは、良いものを引き寄せるということもあるだろうが、やはり、ただの偶然にしか思えないものもよくあり、それを得るには、いろんな意味でだが、時間が必要だったと思うのである。
ちょっと話は変わるが、アニメの「プリキュア」シリーズは、もう15年も続いているらしい。
私は、最初の『ふたりはプリキュア』しか見ていないが、良い作品であったし、今年7~8月に、NHKが人気投票を行ったところ、歴代人気1位が、初代の『ふたりはプリキュア』で、ヒロインであるプリキュアとしての人気は、1位が、やはり初代のキュアブラック(美墨なぎさ)で、2位が同じく初代のキュアホワイト(雪城ほのか)だったらしい。私はほのかが好きである(聴いちゃい!)。
ところが、映画の『ふたりはプリキュア Max Heart 雪空のともだち』で問題が起こっている。
敵の催眠術で心を操られたキュアブラックとキュアホワイトが戦うというもので、その状況を理解出来ない小さな子供が泣き出し、子供達の保護者(いわゆるPTAか)が、プロダクションに猛抗議を行ったという。それで、以降、プリキュア同士の戦いは厳禁となった。
実は、そのシーン、心を操られ、お互いを攻撃しながら、プリキュア達は涙を流すという感動的なものであった。
いろんな考え方がある・・・と言いたいが、これは保護者達の方が悪い。
今の日本では、子供が泣くと、面倒なので、早く泣き止めさせるため、お菓子を与えたりを平気でする。それで、子供たちは、泣いたら勝ち、ごねたら勝ちという楽勝(?)パターンを身に付けてしまう。まあ、「今」というほどではなく、何十年も前からそうであるから、10年以上前の親たち自身がそうであったのだ。
さらに、当時の親たちは既に、最初に述べた、「短い時間で楽に習得」で育った世代でもある。
いくら小さくても、子供が悲しくて泣いたら、時間をかけて必要なことを教えてあげないといけないのに、アニメ制作会社に文句を言って「子供を泣かせるものを作るな」で、まるっと問題解決という安直な思考パターンなのだ。
海外では、小さな子供の目の前で親が殺されるなんて場所はいくらでもある。そんな時、親を殺した敵を皆殺しにすればOKという考え方もあると同時に、根本的な問題を解決しなければならないと、時間をかけて教えてあげる人達も少なくない。
それは、豊かな国である日本が最初にしなければならないのに、何とも残念である。
心理学者の河合隼雄さんの本にあったが、登校拒否の子供を持つ父親が河合さんに「先生、子供が学校に行くようになるスイッチってありませんか?」と尋ねたらしいが、その絶望的な愚かさに、私は気が滅入ってしまった。
安直思考が進むと、当事者意識、そして、責任感というものが全くなくなることを示されてしまった。
楽を求めることは悪いことではない。
だが、楽をしてはいけないこともある。心と、それに、力が関わる問題はそうである。
人気ランキング参加中です |