ぼーっとすれば無敵で、ぼーっとすれば、望まずとも幸運に恵まれる。
それは間違いないのだが、ある程度は修業が出来た人のことかもしれないと思うようになった。
植芝盛平の高弟の塩田剛三さんは、合気道の指導で力を抜くことを教えるが、若い人に対しては徹底的にしごき、練習後の若い弟子たちは、エスカレーターがなかった時代の駅では、手すりにつかまらないと上り下りが出来ないほどだったという。
植芝盛平も、歳を取ってからは力を使わずに戦って無敵だったが、若い時は剛力無双で知られたようだ。つまり、それほど鍛えたのだ。
若いうちは勝負するのが楽しいし、勝負にこだわるべきだろう。
しかし、若い時だって、自分と関係ないことでは、ぼーっとしているのが良い。
いや、何かに打ち込んでいる者は、若くても、他のことではぼーっとしているし、また、そんなヤツが格好良くてモテるんだな。
そして、若い間に、力を抜くこと、勝負にこだわらないことの威力に気付く者は幸いだ。
世の中に出て経験することは、若い時のスポーツや勉強とは比較にならないほど厳しいので、自分の無力さや、個人の力ではどうにもならないことに気付き易い。
そんな中で、いつまでも我を張っていると、どんどん苦しく、そして、駄目になっていくが、ぼーっとすることに気付けば、全てうまくいく。
若い時に、引きこもったりで、普通の方法で勝負が出来なくても、オンラインゲームなどで、上には上がいることを実感出来れば良い。
何でもいいから一番を目指せば良く、昔と違って、今はネットでそんなことが出来るのが羨ましい。
一番いけないのが、若いか年かに関係なく、自己満足で終わることだ。
大切なことは、自分の力の小ささ、自分の卑小さを知ることだからだ。
だが、それはあくまで、理屈の頭脳や筋肉の力などはたかが知れているということであり、一方、我々の内部に秘められた力は無限なのである。
その無限の力にアクセスし、一体化するためには、ぼーっとしなくてはならない。
若い間は、大いに勝負を楽しむが良い。
しかし、イチローだって、40を過ぎれば一流ではなく、40も半ばではプロでいることも難しいのだ。
我々は、なまじイチローのように努力が出来ないのは幸いかもしれない。
早くぼーっとした道に入れるのだからだ。
それは間違いないのだが、ある程度は修業が出来た人のことかもしれないと思うようになった。
植芝盛平の高弟の塩田剛三さんは、合気道の指導で力を抜くことを教えるが、若い人に対しては徹底的にしごき、練習後の若い弟子たちは、エスカレーターがなかった時代の駅では、手すりにつかまらないと上り下りが出来ないほどだったという。
植芝盛平も、歳を取ってからは力を使わずに戦って無敵だったが、若い時は剛力無双で知られたようだ。つまり、それほど鍛えたのだ。
若いうちは勝負するのが楽しいし、勝負にこだわるべきだろう。
しかし、若い時だって、自分と関係ないことでは、ぼーっとしているのが良い。
いや、何かに打ち込んでいる者は、若くても、他のことではぼーっとしているし、また、そんなヤツが格好良くてモテるんだな。
そして、若い間に、力を抜くこと、勝負にこだわらないことの威力に気付く者は幸いだ。
世の中に出て経験することは、若い時のスポーツや勉強とは比較にならないほど厳しいので、自分の無力さや、個人の力ではどうにもならないことに気付き易い。
そんな中で、いつまでも我を張っていると、どんどん苦しく、そして、駄目になっていくが、ぼーっとすることに気付けば、全てうまくいく。
若い時に、引きこもったりで、普通の方法で勝負が出来なくても、オンラインゲームなどで、上には上がいることを実感出来れば良い。
何でもいいから一番を目指せば良く、昔と違って、今はネットでそんなことが出来るのが羨ましい。
一番いけないのが、若いか年かに関係なく、自己満足で終わることだ。
大切なことは、自分の力の小ささ、自分の卑小さを知ることだからだ。
だが、それはあくまで、理屈の頭脳や筋肉の力などはたかが知れているということであり、一方、我々の内部に秘められた力は無限なのである。
その無限の力にアクセスし、一体化するためには、ぼーっとしなくてはならない。
若い間は、大いに勝負を楽しむが良い。
しかし、イチローだって、40を過ぎれば一流ではなく、40も半ばではプロでいることも難しいのだ。
我々は、なまじイチローのように努力が出来ないのは幸いかもしれない。
早くぼーっとした道に入れるのだからだ。
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私が思うに「ぼーっとする」というのは「無我の境地」とか「フロー状態」、あるいは「ゾーンに入る」といった類のものかなぁと思います。
それが最高峰になると「悟りを開く」って事になるのかなぁ?と。
あと、自分と関係ない事については確かにぼーっとしていればいいなと思いますね。