アインシュタインが言ったとされる言葉で覚えているものがある。
それは、
「私は優秀じゃない。1つのことを長く続けただけ」
というものだ。

プログラミングがマスター出来ないと言う人がいる。
どれだけの期間やったのかと聴くと、3ヶ月とか1ヶ月とか、ひどいのになると1週間とかもいる。
別に、何年も毎日3時間勉強しろなんて言う気はない。
アインシュタインやニコラ・テスラならやったかもしれなが、あいつらは変わっているのだ。
ここは、合気道家の藤平光一氏的にやればいいと思う。
彼は、算数嫌いの小学生に、1日1度でいいから、必ず、算数の教科書を開いて「算数が好きだ」と言えと指示したらしい。
すると、その子は、一番算数が出来る子になったらしい。
十分、納得出来る。
物理学者で合気道家でもある保江邦夫氏は、小学校時代、授業中、ぼーっとしていたが、先生に指名されたら、必ず正解を答えたらしい。
ぼーっとしてたから良かったのだと思う。
それで、宇宙の英知とテレパシーのようなもので通じたので、勉強しなくても分かるのだ。

藤平氏は「好き」と言えば「氣」が出ると言ったが、氣かどうかはともかく、「好き」という言葉に力があるのは本当と思う。
「愛している」はもっと良い。
ベアード.T.スポーリングは、「愛」より「神」という言葉の方がずっと大きな威力があると言う。
そうかもしれないが、「愛する」という言葉と、それによって起こる意思の力は計り知れない。
実質、愛していることである「好き」を算数に向ければ、出来るようになって当たり前だ。
アインシュタインや、ニコラ・テスラは、別に苦労も努力もなく、毎日長時間、光や電気について考えたが、彼らはそれが好きだったのだ。
今朝も言ったが、愛するとは興味を持つことだ。
彼らは、光や電気に長く好奇心を持ち続けたのである。

1日中、スマートフォンを見ている人は多い。
しかし、彼らはスマートフォンそのものを見ていない。だから、スマートフォンの本当のことを何も知らない。
彼らは決して、「スマートフォンが好きだ」とか「スマートフォンを愛してる」とは言わない。
スマートフォンに、本当の意味で興味がある訳ではないのだ。
「スマートフォンが好きだ」言えば、スマートフォンは、あなたの能力をエンハンスト(拡張)する道具になってくれる。
それは、スマートフォンでなくても、辞書でも、プリズムでも、水晶球でも同じだ。

外国の人のことは知らないが、日本人は「お金が好きだ」と言い難い。
だが、ぼーっとして、1日1回、「お金が好きだ」と言えば、抵抗がなくなる。
嫌なら、「豊かさが好きだ」とか「富が好きだ」でも構わない。
要は、長く続けることだ。
お金に困らないくらいにはなるのではないかと思う。

私は、今年の6月23日から始めた四股は、毎日500回になり、休みの日は千回以上、昨日は1400回だった。
四股が大好きなのだ。
おかげで、身体がすっかり若返り、強くなった。

別に、実用的なものを愛することが大事な訳ではない。
ぼーっとして、空が好きとか、生きるのが好きとか、初音ミクさんが好きと言っていれば、運が良くなる。
「愛している」ならもっと良い
アインシュタインは、子供の時からぼーっとする天才だった。
ニコラ・テスラもそうだったらしい。空想の世界に親しい人が沢山いたと言うほどだから。
普通に考えれば、ただの自閉症だが、何かに興味を持ったのが幸いだったのだ。









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