インターネット高校のN高等学校では、プログラミングの授業で、ドワンゴの技術者が教えるらしい。
ドワンゴかどうかはともかく、プロの開発者が教えるのは良いことだ。
狩猟民族の子供に狩猟を教えるのに、狩猟学の権威の先生などお呼びでなく、実際に狩猟が上手い者が教えるべきなのと同じだ。
学校でプログラミングを教えるようになったら、日本のITレベルはぐっと「落ちる」(笑)。
学校の先生がプログラミングを教えられるかどうかなんて問題ではない。
プログラミングというのは、勉強ではなく、実用行為なのだ。
釣りが、勉強ではなく、魚を取るという実用行為なのであるのと同じだ。たとえ趣味の釣りであっても、実際に魚が取れるのでなければならないはずだ。
成績データベースを自分で作っている教師であれば、プログラミングの教師として「マシ」ではあるが、問題もある。
そんな学校プログラマは、周囲にライバルがおらず、自分の能力とかやり方を過大評価し勝ちだ。結果、生徒にプログラミングに関する厄介な欠点を植え付けることになる可能性が高く、それが生徒にとって、致命的欠陥になる場合もあるだろう。
教師というのは、最も、教えるのに向いていない人種ではないかと思う。

算数や数学の勉強が役に立たないなんて、恐ろしくもトンデモないことが言われるのはなぜかというと、学校の先生が役に立つ算数や数学を知らないだけのことだ。
教科書でしか算数や数学を知らず、科学技術の研究や開発で活用したことがないのだから、役に立つことを教えられるはずがない。ところが何と、学校の算数や数学は、教科書以外の勉強はしないことになってる。
世界では、進歩した教育では、そんな学校は無用だと堂々言われるようになってきたし、実際、消滅させる方向に動いているだろう。
以前、日本の小学校で、企業の技術者にテクノロジーの授業をさせ、生徒達は楽しくて喜んでいたし、役に立つ授業であったが、教育委員会が「そのようなことをやってはならない」と、その学校を戒めたらしい。
教師としては最高であったジョン・テイラー・ガット が書いた『バカをつくる学校』という名著があるが、まさに日本の学校はバカを作る学校である。

アメリカでは、大学の先生だって、企業と提携して儲けられないのは無能だから評価されないらしい。実際のことは知らないが、それが当たり前だろう。
実用で役に立たない、そして、実用で使ったことのない学問など、無用の長物である。
プログラミングもだが、数学や物理、化学だって、テクノロジー企業の開発者(企業の研究者は開発者でもある。開発の出来ない研究者など有り得ない)が教えるのが一番良いのは間違いない。
学校の教師はいらないし、おそろしく高い給料を払っている金を、もっと良いことに使うべきだが、教師にだって生活がある。
学校で教師によるアホなイジメのことが話題になっていたが、あんなの、いくらでもあるだろう。役に立つことをやっていない人間に思考力があるはずがないからだ。
もちろん、現場の先生は、問題のある子供のために多大な労力を使っているが、その労働の多くは、教師の仕事とは言い難い。
生徒に対する様々な対応をきちんとやる機関を作ったり運営する予算を使わず、それを安直に教師に押し付けているだけだろう。
だから、勉強の教師は、しかるべき人(企業の研究開発者)にまかせ、今、教師として勤めている人は、授業や生徒へのサービス要員にすれば良いのである。実際。真面目な教師達も、そう感じているのではあるまいか。
学ぶことについては、アメリカで起こりつつあるアンスクール(反学校。非学校教育)のように、学ぶことは子供達が自分で決める・・・そのために、生徒は広い世界と交流し、変態だらけの教師から解放すべきだろう。








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