日本人は、特に仏教徒という訳ではないが、家単位で仏教の檀家(寺に所属すること)というものになってる場合が多い。
だから、「私の家は浄土宗だ」「私の家は臨済宗だ」などと言う。
なぜそんなことになっているのかというと、江戸時代にキリスト教を排除するために、民衆全部を無理矢理仏教徒にするための政策がいまだ残っているからのようだ。
私の家もそうなのだが、浄土真宗が最も多く、次が浄土宗なのだと思う。
この2つの宗派の教えは、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えれば、死後、極楽浄土に行けるというシンプルで解り易く、それは、現在の仏教の主な出番であるお葬式に実にマッチするので都合が良い。
それで、少し真面目に浄土宗や浄土真宗について学ぶ者も、「極楽浄土は死後に行く安楽な世界で、そこに行くためには生きている間に念仏を唱えれば良い」と理解しているのだと思う。
実際、浄土宗や浄土真宗の経典である『無量寿経(大無量寿経)』や『観無量寿経』を見ると、表向きはそう書いてある。表向きはと言ったのは、経典というのは、それほど単純に書かれておらず、解釈が難しいからである。
それでも、「極楽浄土は死後に行く、キリスト教で言う天国のようなもの」「念仏を唱えることで極楽浄土に行ける」というのが、浄土宗や浄土真宗の正統な教えとなっているのだと思う。
これについては、法然や親鸞、あるいは、一遍らの時代、民衆は、生きている間の希望がほとんどなく、せめて死後の世界で幸福になれると説くしかなかったという事情があったのだと学校で教わったものだ。
だが、親鸞より後の(室町時代の)臨済宗の僧侶、一休が、法然や親鸞を大変に誉め、自らも念仏を唱えていたが、彼が、念仏と極楽浄土の正しい教えを説いていることは、本来、もっと理解しておくと良いと思う。
一休は、「極楽浄土は西の遠い彼方にあると言われるが、実際には南、即ち、皆身・・・我々の中にある」と言ったが、これも、民衆に解り易い喩えであり、正確には、極楽浄土は、今、ここにあり、どこにでもあると言ったのである。
スターウォーズで、ルークがヨーダに「フォース(霊的な力)なんてどこにあるんです?」と問うと、ヨーダは「どこにでもある。ここにも、ほら、そこにも」と言うが、ルークには理解出来なかった。
しかし、理解するしないに関係なく、フォースも極楽浄土も同じで、どこにでもあるのである。
だが、それが解るためには、極楽浄土が、この世と重なり合うように存在する異次元の世界であると理解しなければならないが、正確には、重なり合っているという訳でもないだろう。しかし、人間の感覚的には、せいぜい、重なり合うと言うしかないのである。
ジョセフ・マーフィーは、潜在意識のことを、フロイトが言うものとはやや異なる、あらゆる力の源のようなものと言い、ヨーダのフォースに近いと言えなくもないが、『あなたも幸せになれる(原題:THE COSMIC ENERGIZER)』で、潜在意識を「宇宙の活力(THE COSMIC ENERGIZER)」と呼び、それは万能の力であり、宇宙に偏在する、即ち、あらゆるところにあると説いている。
極楽浄土、フォース、潜在意識、宇宙の活力は、全て同じで、最近、物理学者の保江邦夫さんが「素領域理論」で物理学で説明しているのが、解り易いとは言えないながら、一応、それらを統一した考え方になっていると思う。
これらは全て、実用的と言っては下品なのかもしれないが、実際の力になるものであるのだから、そのように習得するべきと思う。
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なぜそんなことになっているのかというと、江戸時代にキリスト教を排除するために、民衆全部を無理矢理仏教徒にするための政策がいまだ残っているからのようだ。
私の家もそうなのだが、浄土真宗が最も多く、次が浄土宗なのだと思う。
この2つの宗派の教えは、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えれば、死後、極楽浄土に行けるというシンプルで解り易く、それは、現在の仏教の主な出番であるお葬式に実にマッチするので都合が良い。
それで、少し真面目に浄土宗や浄土真宗について学ぶ者も、「極楽浄土は死後に行く安楽な世界で、そこに行くためには生きている間に念仏を唱えれば良い」と理解しているのだと思う。
実際、浄土宗や浄土真宗の経典である『無量寿経(大無量寿経)』や『観無量寿経』を見ると、表向きはそう書いてある。表向きはと言ったのは、経典というのは、それほど単純に書かれておらず、解釈が難しいからである。
それでも、「極楽浄土は死後に行く、キリスト教で言う天国のようなもの」「念仏を唱えることで極楽浄土に行ける」というのが、浄土宗や浄土真宗の正統な教えとなっているのだと思う。
これについては、法然や親鸞、あるいは、一遍らの時代、民衆は、生きている間の希望がほとんどなく、せめて死後の世界で幸福になれると説くしかなかったという事情があったのだと学校で教わったものだ。
だが、親鸞より後の(室町時代の)臨済宗の僧侶、一休が、法然や親鸞を大変に誉め、自らも念仏を唱えていたが、彼が、念仏と極楽浄土の正しい教えを説いていることは、本来、もっと理解しておくと良いと思う。
一休は、「極楽浄土は西の遠い彼方にあると言われるが、実際には南、即ち、皆身・・・我々の中にある」と言ったが、これも、民衆に解り易い喩えであり、正確には、極楽浄土は、今、ここにあり、どこにでもあると言ったのである。
スターウォーズで、ルークがヨーダに「フォース(霊的な力)なんてどこにあるんです?」と問うと、ヨーダは「どこにでもある。ここにも、ほら、そこにも」と言うが、ルークには理解出来なかった。
しかし、理解するしないに関係なく、フォースも極楽浄土も同じで、どこにでもあるのである。
だが、それが解るためには、極楽浄土が、この世と重なり合うように存在する異次元の世界であると理解しなければならないが、正確には、重なり合っているという訳でもないだろう。しかし、人間の感覚的には、せいぜい、重なり合うと言うしかないのである。
ジョセフ・マーフィーは、潜在意識のことを、フロイトが言うものとはやや異なる、あらゆる力の源のようなものと言い、ヨーダのフォースに近いと言えなくもないが、『あなたも幸せになれる(原題:THE COSMIC ENERGIZER)』で、潜在意識を「宇宙の活力(THE COSMIC ENERGIZER)」と呼び、それは万能の力であり、宇宙に偏在する、即ち、あらゆるところにあると説いている。
極楽浄土、フォース、潜在意識、宇宙の活力は、全て同じで、最近、物理学者の保江邦夫さんが「素領域理論」で物理学で説明しているのが、解り易いとは言えないながら、一応、それらを統一した考え方になっていると思う。
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