サッカー少年、野球少年の中には、将来、セリエAやメジャーリーグで活躍したいと言う子もいるだろう。
そんな子達に、「それは余程の才能がなければ無理なこと」と言ってやらないのはフェアじゃないという考え方もあるのかもしれない。
しかし、ほとんどの大人は、むしろ、面倒だからという理由で「頑張れ」とか言うのだと思う。期待している訳でも、馬鹿馬鹿しいと思っている訳でもない。
ただ、その子がモノになる可能性が僅かでもあるかどうかは、少し見れば分かると思う。
すなわち、サッカーの王者志望なら、1日中、何らかの意味でサッカーをしているか、サッカーのことを考えているのである。
その極端な例が、野球のメジャーリーガーの「最後の4割打者」テッド・ウィリアムズで、彼は少年の時から、起きている時間の全部をバッティングの練習に捧げたがり、挙句、夜は両親が無理矢理ベッドに押し込まない限り、いつまでも練習しようとしていたらしい。
ところが、そんな話を知っている野球少年って、あんまりいないのだと思う。
ニコラ・テスラは、学生の時、毎日13時間勉強するので、心配した父親が勉強禁止令を出したほどだった。

テッド・ウィリアムズやニコラ・テスラが天才かどうかは知らないが、彼らでも高みに達するのは簡単ではなかったのである。
しかし、そんなことを知らない子供達はものごとをなめるようになる・・・つまり、難しいことを簡単に考えるようになる。
他人が成し遂げたことに対し、「そんなの簡単だ」と言う子が多いと思う。
クラスメイトが何かを苦労して達成しても、「そんなん、大したことないやん」と笑うような子は、大人になるにつれ、その傾向性も大きくなり、そんな者に見込みはない。

昔のパソコンのOSのCP/MやMS-DOS、あるいは、昔のOS-9は、比較的単純に見え、ちょっとプログラミングが出来る者の中には、「あの程度は自分でも作れる範囲」などと言う者がよくいたが、彼らは全く大した者にはなっていないはずだ。
ネットワーク高校のN高等学校のプログラミング授業で「ニコニコ動画を作れるようになる」というものがあったと思うが(今もあるのかもしれないが)、やはり、少しプログラミングが出来る愚かな者は、「ニコニコ動画なんか、作ろうと思ったら俺でも作れる」と思ったり、言ったりするのである。
それなら、本当に作ってみたら、自分が思っているより千倍も難しいことが解るのだが、そんな者に限って何もしない。
以前、中途採用の若い開発技術者に「あの会社のシステムの構築は難しい」と言ったら、その者は「そんなことはないでしょう」みたいなことを言うので、難しい理由を説明してやったが、その者は「なんで、そんなことが難しいのでしょう」といった雰囲気の、何か見下した目で私を見た。
その者のその後は、やはり、低レベルであったが、それでも、非常にプライドが高くて扱い難かった。
よくは解らないが、育ちが悪いのかなあとか思ってしまうのだ。

最近は、「自己肯定感を高める」といったタイトルの本をよく見るし、それも大切なんだろうとは思うが、むしろ、自己肯定感が高過ぎることが問題な場合が多いように思えてならない。
「どうせ私なんか」と言うのは、その裏に、「どうせ私なんか大したことない」と証明してしまうことを恐れる気持ちがあるのではないかと思う。
それでいて、「では君は、黙っていて馬鹿だと思われる方が、喋って馬鹿を証明するより良いと思っているのだね?」と言ってやると怒るのだからややこしいのだ。
やっぱり、プライドだけは高いのである。

プライドを捨てたように見える人間だって、実は、しっかりプライドを持っているというのが、デール・カーネギーの『人を動かす』の重要な教えであると思う。
『荘子』には、「高度な人間にはプライドがない」といったことが書かれていて、その通りであると思う。しかし、プライドを無理に捨てることは出来ない。
また、プライドを壊してやる必要もない。それに、他人のプライドを壊すことで、自分のプライドを強固にしてしまうものだ。
成功するには、1万時間、あるいは、10年の継続が必要だと教えてあげれば良いし、それは、起きている時間のほとんどを費やすことだと解らせてやれば良い。
ところが、伝記の99%は、そんな話は省かれ、面白いが、どうでも良いエピソードを寄せ集めているのである。








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