仏教とは、一言で言えば、「自分を忘れること」であると思う。
ところで、私は子供の時から、アメリカでは自己アピールが重要で、自己アピールが出来ない人間はアメリカでは生きていけないと聞いた。今では、その考え方が日本でもかなり普及しているだろう。
しかし、日本のように、皆がほぼ同じ人種で、似たような考え方を持つ人間ばかりの国とは全然違い、見かけからして、かなり異なり、考え方も極端に違う人間がどこにでもいるアメリカでは、自己アピールをしないと、仲間に入れてもらえないし、仕事ももらえない。
しかし、実は、アメリカも日本も同じで変わらない。
自己アピールの根本はこうだ。
例えば、スポーツで鍛えて立派な身体になった人なら、
「私はたまたま強い身体を持てたので、肉体労働で役に立つ」
だし、私のようなプログラマーなら、
「私はたまたまコンピュータープログラムを身につけたから、プログラムを作って、あなた方の仕事の効率を上げることが出来る」
といったものだ。
つまり、正確には、「自己アピール」ではなく、「自分が持ってるもののお知らせ」なのである。
そして、それは、「自分を忘れた」者ほど、うまくいく。
ところが、日本では、こんな下手な自己アピールをする者が多いのだ。
「私は今は何も出来ませんが、夢がありますので、ここで雇っていただいて、いろいろ出来るようになりたいです」
自分だらけで、雇って得するものは何1つない。
日本でも、アメリカでも最低の人材である。
逆に、良い自己アピールの例を言うと、
「ここの仕事の効率を上げるプログラムを考えて作ります。毎日身体を鍛えてますので、安定した仕事をします」
である。自分は全くない。「身体を鍛えている」のは、「あなた方のため」の分のみアピールしている。個人的には、モテるために身体を鍛えたのかもしれないが、そんなことには全く触れていない。
名医には、手術の前に神に祈りを捧げる者が多いらしい。
そうすれば、自分が消えて、自分の手を通して神が代わりに手術をしてくれ、素晴らしい成果になるようだ。
こんな話も見た。
脳手術の途中、脳出血が起こったりで、どうしようもない状況になった時、普段からお祈りをよくしていると、自然に頭の中に祈り言葉が浮かび、そんな時は、患者は助かり、後遺症もないという。
昔、本宮ひろ志さんの漫画で、こんなものを読んだことだある。
現代(と言っても半世紀ほど前)のお話だ。
剣を修行中の学生が、達人と言われる僧に、立会いを許された。
ところが、その僧の、自分を全く消して立つ姿を見て、学生剣士は、「とても俺が歯が立つ相手じゃない」と悟り、「参りました!」と言って地面に平伏す。
僧は笑って、「いや、あなたもお若いのに、なかなかお強い」と誉め、学生剣士は恐縮する。
立ち会って、その僧と自分のレベルの差を感じるなら、確かに、それなりに強いはずだ。
その層が、自分を忘れる方法は、仏教の修行の中で、お経を読むことで習得したものかもしれない。
だが、その僧の息子は、木彫りの仏像か何かを作ることで、無我の境地に入っていく方法を身につけた。
その息子は、父を恨み復讐に来る。
そして、お互いが無に入った後、息子が父を斬る。
斬られるとき、父の僧は「見事じゃ」と誉めるが、おそらく、望んで斬られたのだし、それが解った息子の方も腹を切ったが、涙を流したらしい。
これも定めであったのかもしれないが、父にも何か間違いがあったのだろう。
今の時代、戦う武術はない方が良いのかもしれない。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
ところで、私は子供の時から、アメリカでは自己アピールが重要で、自己アピールが出来ない人間はアメリカでは生きていけないと聞いた。今では、その考え方が日本でもかなり普及しているだろう。
しかし、日本のように、皆がほぼ同じ人種で、似たような考え方を持つ人間ばかりの国とは全然違い、見かけからして、かなり異なり、考え方も極端に違う人間がどこにでもいるアメリカでは、自己アピールをしないと、仲間に入れてもらえないし、仕事ももらえない。
しかし、実は、アメリカも日本も同じで変わらない。
自己アピールの根本はこうだ。
例えば、スポーツで鍛えて立派な身体になった人なら、
「私はたまたま強い身体を持てたので、肉体労働で役に立つ」
だし、私のようなプログラマーなら、
「私はたまたまコンピュータープログラムを身につけたから、プログラムを作って、あなた方の仕事の効率を上げることが出来る」
といったものだ。
つまり、正確には、「自己アピール」ではなく、「自分が持ってるもののお知らせ」なのである。
そして、それは、「自分を忘れた」者ほど、うまくいく。
ところが、日本では、こんな下手な自己アピールをする者が多いのだ。
「私は今は何も出来ませんが、夢がありますので、ここで雇っていただいて、いろいろ出来るようになりたいです」
自分だらけで、雇って得するものは何1つない。
日本でも、アメリカでも最低の人材である。
逆に、良い自己アピールの例を言うと、
「ここの仕事の効率を上げるプログラムを考えて作ります。毎日身体を鍛えてますので、安定した仕事をします」
である。自分は全くない。「身体を鍛えている」のは、「あなた方のため」の分のみアピールしている。個人的には、モテるために身体を鍛えたのかもしれないが、そんなことには全く触れていない。
名医には、手術の前に神に祈りを捧げる者が多いらしい。
そうすれば、自分が消えて、自分の手を通して神が代わりに手術をしてくれ、素晴らしい成果になるようだ。
こんな話も見た。
脳手術の途中、脳出血が起こったりで、どうしようもない状況になった時、普段からお祈りをよくしていると、自然に頭の中に祈り言葉が浮かび、そんな時は、患者は助かり、後遺症もないという。
昔、本宮ひろ志さんの漫画で、こんなものを読んだことだある。
現代(と言っても半世紀ほど前)のお話だ。
剣を修行中の学生が、達人と言われる僧に、立会いを許された。
ところが、その僧の、自分を全く消して立つ姿を見て、学生剣士は、「とても俺が歯が立つ相手じゃない」と悟り、「参りました!」と言って地面に平伏す。
僧は笑って、「いや、あなたもお若いのに、なかなかお強い」と誉め、学生剣士は恐縮する。
立ち会って、その僧と自分のレベルの差を感じるなら、確かに、それなりに強いはずだ。
その層が、自分を忘れる方法は、仏教の修行の中で、お経を読むことで習得したものかもしれない。
だが、その僧の息子は、木彫りの仏像か何かを作ることで、無我の境地に入っていく方法を身につけた。
その息子は、父を恨み復讐に来る。
そして、お互いが無に入った後、息子が父を斬る。
斬られるとき、父の僧は「見事じゃ」と誉めるが、おそらく、望んで斬られたのだし、それが解った息子の方も腹を切ったが、涙を流したらしい。
これも定めであったのかもしれないが、父にも何か間違いがあったのだろう。
今の時代、戦う武術はない方が良いのかもしれない。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。


人気ランキング参加中です |
![]() ![]() |