アメリカの事業家イーロン・マスクの名を知らない人がいまだ多いのは驚くべきことだ。
民間宇宙船開発会社スペースXで、ロシア、中国、そして、アメリカ政府と競い、人類の火星移住計画を推進し、都市の地下に無限層の自動車交通路を本当に作り始め、太陽光発電で電気代を無料にしようとしている。
今月(2019年7月)は、脳機能を拡張するチップを人間の脳に埋め込む臨床試験を2020年から行うことを政府機関に申請している。
だが、イーロンの目下最も大きな事業は、電気自動車製造会社テスラで、この新しく業界に参加した自動車会社が、フォードやGMといった大手自動車会社を時価総額で抜き去るという信じ難いことをやり、AIによる自動運転を推進する。
ところで、イーロン・マスクの興味深い思考法は、「脳の映像領域で考える」ことだ。
彼の自動車会社の名称にもなっている大天才ニコラ・テスラも似たことを言っていた。
要は、イメージで考えるとも言え、そのこと自体は、普通の人でも何となく解ると思うが、普通の人は曖昧にしか知らないのだ。
イメージで考えるちゃんとしたやり方を知れば、天才になると言うより、世界を創造出来る。つまり、ミニ神様になれるのだ。
数学者、心理学者、コンピューター科学者で、いずれの分野でも天才級の実績を残したシーモア・パパートは、幼い時に「歯車」に惚れ込み、何でも歯車で考えると言う。
彼は、自分の能力は平凡だという。彼の平常の愚行を思えば、それはあながち謙遜ではないかもしれない。そして彼は、そんな凡人である自分が、それなりの実績を上げられたのは、歯車で考えたからだと言う。頭の中で、歯車を動かしながら考えるのだ。これも、イーロン・マスクの言う、「脳の映像領域で考える」ということと同じなのだろう。
昨日も書いたが、私が奇跡の力を発揮した時も、いつもイメージがあった。
奇跡の本家本元のイエス・キリストも、そのあたりはもっと具体的に教えても良かったのにと思うが、時代を考えればやむを得ないか・・・
「イメージしろ」と言われた時の、普通の人のやり方は、あまりに冗長で鋭さがない。
イメージには力が必要で、生き生きとしていなければならず、カラーであることが効果的で、そのためには、普通の人では、かなり短時間に集中してイメージしなければならない。
例えば、リンゴが食べたいと思ったら、自分が今、一番食べたい形・・・剥いて8分の1ほどに切ったリンゴが白い皿に乗っている様子を「ぱっと」イメージしたら、ふと振り返れば、ありえない状況で、誰かが「リンゴいらない」と、リンゴを手渡してくれたり、あるいは、本当に剥いたリンゴが出てきたりするのである。
私は子供の時、そうやってリンゴを「空中に注文」していたものだ。
小学生の時の下校時、「今日は、あの道であの(可愛い女の)子に会おう」と勝手に決めて、いつもは通らないその道を行きながら、彼女の印象的な一瞬を強く思い浮かべると、やはり、そこに彼女が現れるのである。
必ずしも、イメージ通りに事が運ぶのではない・・・いや、イメージそのものはかなり外れる。
例えば、私は、天体望遠鏡を初めて手にいれた小学4年生の時、夜空の星の配置に関して知識ゼロながら、「土星を見よう」と思って、図鑑で見た大きな土星の写真をイメージして、適当に星を1つ選んで望遠鏡で見たら、ちゃんと輪はついていて土星だと判ったが、図鑑の土星とは比べ物にならないほど小さかった。
しかし、十分以上に感動的だった。
イメージと違うのは悪いことではない。何とっても、人生とは未知との遭遇を楽しむためのものと言って過言ではないのだから。
昔の魔法も、シンボルを1つ、瞬間的に強くイメージする訓練をしたものであるが、本来、好きなものであれば訓練などする必要はない。
しかし、大人になると、そうやって教えないと、なかなか出来ないものである。
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民間宇宙船開発会社スペースXで、ロシア、中国、そして、アメリカ政府と競い、人類の火星移住計画を推進し、都市の地下に無限層の自動車交通路を本当に作り始め、太陽光発電で電気代を無料にしようとしている。
今月(2019年7月)は、脳機能を拡張するチップを人間の脳に埋め込む臨床試験を2020年から行うことを政府機関に申請している。
だが、イーロンの目下最も大きな事業は、電気自動車製造会社テスラで、この新しく業界に参加した自動車会社が、フォードやGMといった大手自動車会社を時価総額で抜き去るという信じ難いことをやり、AIによる自動運転を推進する。
ところで、イーロン・マスクの興味深い思考法は、「脳の映像領域で考える」ことだ。
彼の自動車会社の名称にもなっている大天才ニコラ・テスラも似たことを言っていた。
要は、イメージで考えるとも言え、そのこと自体は、普通の人でも何となく解ると思うが、普通の人は曖昧にしか知らないのだ。
イメージで考えるちゃんとしたやり方を知れば、天才になると言うより、世界を創造出来る。つまり、ミニ神様になれるのだ。
数学者、心理学者、コンピューター科学者で、いずれの分野でも天才級の実績を残したシーモア・パパートは、幼い時に「歯車」に惚れ込み、何でも歯車で考えると言う。
彼は、自分の能力は平凡だという。彼の平常の愚行を思えば、それはあながち謙遜ではないかもしれない。そして彼は、そんな凡人である自分が、それなりの実績を上げられたのは、歯車で考えたからだと言う。頭の中で、歯車を動かしながら考えるのだ。これも、イーロン・マスクの言う、「脳の映像領域で考える」ということと同じなのだろう。
昨日も書いたが、私が奇跡の力を発揮した時も、いつもイメージがあった。
奇跡の本家本元のイエス・キリストも、そのあたりはもっと具体的に教えても良かったのにと思うが、時代を考えればやむを得ないか・・・
「イメージしろ」と言われた時の、普通の人のやり方は、あまりに冗長で鋭さがない。
イメージには力が必要で、生き生きとしていなければならず、カラーであることが効果的で、そのためには、普通の人では、かなり短時間に集中してイメージしなければならない。
例えば、リンゴが食べたいと思ったら、自分が今、一番食べたい形・・・剥いて8分の1ほどに切ったリンゴが白い皿に乗っている様子を「ぱっと」イメージしたら、ふと振り返れば、ありえない状況で、誰かが「リンゴいらない」と、リンゴを手渡してくれたり、あるいは、本当に剥いたリンゴが出てきたりするのである。
私は子供の時、そうやってリンゴを「空中に注文」していたものだ。
小学生の時の下校時、「今日は、あの道であの(可愛い女の)子に会おう」と勝手に決めて、いつもは通らないその道を行きながら、彼女の印象的な一瞬を強く思い浮かべると、やはり、そこに彼女が現れるのである。
必ずしも、イメージ通りに事が運ぶのではない・・・いや、イメージそのものはかなり外れる。
例えば、私は、天体望遠鏡を初めて手にいれた小学4年生の時、夜空の星の配置に関して知識ゼロながら、「土星を見よう」と思って、図鑑で見た大きな土星の写真をイメージして、適当に星を1つ選んで望遠鏡で見たら、ちゃんと輪はついていて土星だと判ったが、図鑑の土星とは比べ物にならないほど小さかった。
しかし、十分以上に感動的だった。
イメージと違うのは悪いことではない。何とっても、人生とは未知との遭遇を楽しむためのものと言って過言ではないのだから。
昔の魔法も、シンボルを1つ、瞬間的に強くイメージする訓練をしたものであるが、本来、好きなものであれば訓練などする必要はない。
しかし、大人になると、そうやって教えないと、なかなか出来ないものである。
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集中力の問題ですかね