仙道家の高藤聡一郎さんの本で見たが、高藤さんが若くて貧乏だった時、彼が金持ちの社長さんに、
「金なんて、何やっても入ってくるじゃない」
と言われる話があったが、私も昔、成功している事業家から、
「金を儲けるのは簡単だ。難しいのは使う方だ」
と言われたことを覚えている。
ところが、普通のサラリーマンは、文字通り、自分がサラリー(給料)以外で金を稼ぐことなど全く出来ないと思っている。
だが本当は、自分はサラリー以外でお金を得ることは出来ないと思い込んでいるから、実際にそうなっているだけである。
そして、彼にそう思い込ませたのは、親や学校やテレビなのだ。
一方で、高藤さんの本に載っていた社長さんや、私が知っているあの事業家は、お金を手に入れる良い方法があることを信じているのだ。
「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎は、金に窮していることを訴える男に、
「金?腹に力がつけば、金はいくらでも出来ますよ」
と言ったという。
さて、全てを、特殊な、そして、あいまいな言葉でなく、ありふれた、そして、はっきりした言葉で言わなければならない。
腹に力があるとは、腹が据(す)わっていることで、腹が据わっているとは、落ち着いていてどっしりしていることだ。
落ち着いてどっしりしているとは、心が広いことで、心が広いこととは偏見がないことで、偏見をなくすには、それほど大事でないものに対する執着(こだわり)を捨てれば良い。
多くの人間が、いかに、どうでも良いものを後生大事にしていることか。
例えば、学歴、出身校、学校で学んだ知識、肩書き、所属する会社名、評判といったものだ。
こういったものにこだわる限り、楽に金を得ることは出来ない。
つまるところ、お金はエネルギーであり、心を狭めれば、エネルギーの流通が悪くなって、お金も入ってこないのだろう。
お金持ちは、小さなことにこだわっていられない状況に長くいたせいで、ものごとにこだわらなくなったという場合が多い。
矢追純一さんの本で見たが、彼が中国にいた子供時代、集団で盗みをやって逃げている時、前を走っていた泥棒仲間のおじさんが、撃たれて頭を吹っ飛ばされたり、隣に座っていた友達が不意にもたれかかってきたと思ったら、流れ弾に当たって死んでいたりしたが、それが日常茶飯事になると、そういったことが起こっても、何とも思わなくなるそうだ。
矢追さんが大金持ちかどうかは知らないが、彼が高校1年生の時、母親が死んだので(父親はとうの昔に亡くなっていた)、妹2人を養っていたが、別に苦労も感じず、毎晩、飲み遊んでいたらしい(夜までは仕事)。
自分がいくら持っているかはどうでもいいことなので分からないらしいが、家でも美術品でも、欲しければ即決で買って、支払いで問題が起こったことはないそうだから、やっぱり金はあるのだろう。
人間、なりふり構っていられない状況を経験するのは良いことであるに違いない。
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「金なんて、何やっても入ってくるじゃない」
と言われる話があったが、私も昔、成功している事業家から、
「金を儲けるのは簡単だ。難しいのは使う方だ」
と言われたことを覚えている。
ところが、普通のサラリーマンは、文字通り、自分がサラリー(給料)以外で金を稼ぐことなど全く出来ないと思っている。
だが本当は、自分はサラリー以外でお金を得ることは出来ないと思い込んでいるから、実際にそうなっているだけである。
そして、彼にそう思い込ませたのは、親や学校やテレビなのだ。
一方で、高藤さんの本に載っていた社長さんや、私が知っているあの事業家は、お金を手に入れる良い方法があることを信じているのだ。
「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎は、金に窮していることを訴える男に、
「金?腹に力がつけば、金はいくらでも出来ますよ」
と言ったという。
さて、全てを、特殊な、そして、あいまいな言葉でなく、ありふれた、そして、はっきりした言葉で言わなければならない。
腹に力があるとは、腹が据(す)わっていることで、腹が据わっているとは、落ち着いていてどっしりしていることだ。
落ち着いてどっしりしているとは、心が広いことで、心が広いこととは偏見がないことで、偏見をなくすには、それほど大事でないものに対する執着(こだわり)を捨てれば良い。
多くの人間が、いかに、どうでも良いものを後生大事にしていることか。
例えば、学歴、出身校、学校で学んだ知識、肩書き、所属する会社名、評判といったものだ。
こういったものにこだわる限り、楽に金を得ることは出来ない。
つまるところ、お金はエネルギーであり、心を狭めれば、エネルギーの流通が悪くなって、お金も入ってこないのだろう。
お金持ちは、小さなことにこだわっていられない状況に長くいたせいで、ものごとにこだわらなくなったという場合が多い。
矢追純一さんの本で見たが、彼が中国にいた子供時代、集団で盗みをやって逃げている時、前を走っていた泥棒仲間のおじさんが、撃たれて頭を吹っ飛ばされたり、隣に座っていた友達が不意にもたれかかってきたと思ったら、流れ弾に当たって死んでいたりしたが、それが日常茶飯事になると、そういったことが起こっても、何とも思わなくなるそうだ。
矢追さんが大金持ちかどうかは知らないが、彼が高校1年生の時、母親が死んだので(父親はとうの昔に亡くなっていた)、妹2人を養っていたが、別に苦労も感じず、毎晩、飲み遊んでいたらしい(夜までは仕事)。
自分がいくら持っているかはどうでもいいことなので分からないらしいが、家でも美術品でも、欲しければ即決で買って、支払いで問題が起こったことはないそうだから、やっぱり金はあるのだろう。
人間、なりふり構っていられない状況を経験するのは良いことであるに違いない。
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今回の記事を読んで、高木悠鼓さんの「楽しいお金」がまた読みたくなりました。kayさんがこの本を読んだのかと思うくらいの内容でした。