「本物の迫力」などと言うことがある。
しかし、本物は地味で、少なくとも、大衆うけするような迫力はない。
柔道やアマチュアレスリングの試合なんかより、プロレスの方がずっと迫力があるが、プロレスは迫力で観客や視聴者を喜ばせるショーであるからだと思う。
プロボクシングだって、リング外での選手のパフォーマンスが迫力があったり面白かったりすることはあっても、試合そのものは、大概地味である。
人気者の参議院議員のアントニオ猪木さんの知名度が抜群なのは、プロレスの大スターだったからだが、1976年の、当時プロボクシング世界ヘビー級王者だったモハメド・アリとの異種格闘技戦は特に有名と思う。
その時のモハメド・アリは、単なるボクシング世界チャンピオンというだけでなく、人類的、地球的大スターだった。
ところで、この試合が真剣勝負だったのかというと、『1976年のアントニオ猪木』(柳澤健著。文藝春秋)では、そうであると書かれてあり、『大山倍達正伝』(小島一志 ・塚本佳子著。新潮社)では、ショーであったとしている。
いずれも、事実を正確に伝えるよう取材を重ねて書かれてあり、信憑性の高さが感じられたが、アリVS猪木戦では、違うことが書かれていて、私のような素人に判断がつくものではない。しかも、それぞれ、アリVS猪木戦が、真剣勝負であった、あるいは、ショーであったことを裏付ける、かなりのエビデンス(証拠)も示しているのだから、さらに判り難い。
ただ、あの試合は、世間では非常に不評であった・・・猪木はアリのパンチを防ぐため、寝転がって戦ったことが迫力がなかったのが、観戦者達には大いに不満であった。
そのことから考えると、この試合が真剣勝負であった可能性が高いと思えるのだ。
ショーとして行うなら、特に興行主の猪木さんは、ファンが満足する迫力ある試合になるよう計画したはずである。
ただ、アリが大物過ぎて、シナリオを作るのが難しく、最後まで完全な台本が出来なかった、あるいは、台本の明確な承認に至らなかったということも考えられる。
アリとしては、自分ほどの世界的スーパースターは、出るだけで良いと思っていたのかもしれない。
しかし、アリが猪木のローキックで脚にかなりの負傷を負い、アリは、その後訪問したイギリスで、エリザベス女王に脚の状態を心配されたことが、朝日新聞に載っていた。
ショーマッチで、そんなことが起こるとも考え難いが、実は、ショーであったはずが、猪木のキックがこれほどアリにダメージを与えることが想定外だったとも考えられる。
いかにショーであっても、観客に分かるような力の入っていないパンチやキックならバレてしまうので、ある程度は、力ある攻撃をするだろうからね。
1つの無責任な想像としては、この試合は、上で述べた通り、打ち合わせが完了せず、中途半端な状態、あるいは、お互いの理解に齟齬があることを知りながら、始まってしまった試合ではないかと思う。
戦っている当人達や、それぞれの陣営も、どんなことになるか、分からない部分がかなりあったのではと思うのだ。
『大山倍達正伝』では、アリ側は、レスラーとしては2流だが、本物の格闘家であるジーン・ラーベルをレフェリーにして、猪木が無茶をやり始めたら制止する準備をしていたらしい。
予定では、最後は、もっと和やかな雰囲気の中で引き分けでお茶を濁すつもりだったかもしれないが、予想外にヒートアップし、アリが、猪木さんを気遣ったのか、それとも、今後の自分のためを考えたのかのいずれかの理由で、試合後、非常に友好的な雰囲気を作ったようにも思える。儲かったのはアリで、アリの機嫌が悪いはずはない。しかし、猪木さんは、アリへの支払いのために、かなり無理したのは確かと思う。
いずれにしても、関係者ですら見解が分かれ、一概に何が起こったのかは語れないのではと思うのだ。
「パフォーマンス」という言葉が頻繁に使われるように、世界はますますパフォーマンス重視になっているが、それは、「見かけ重視」ということでもある。
もちろん、実質を伴ったパフォーマンスもあるが、世の中のほとんどのパフォーマンスは偽物である。
だが、偽物でも、楽しませてくれるものを人々は求め、「面白くない」「楽しくない」本物には見向きもしない。
それを自覚し、抗うことが必要だが、そのためには、なぜ、そうでないといけないのかを、しっかり意識しなければならないのである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
しかし、本物は地味で、少なくとも、大衆うけするような迫力はない。
柔道やアマチュアレスリングの試合なんかより、プロレスの方がずっと迫力があるが、プロレスは迫力で観客や視聴者を喜ばせるショーであるからだと思う。
プロボクシングだって、リング外での選手のパフォーマンスが迫力があったり面白かったりすることはあっても、試合そのものは、大概地味である。
人気者の参議院議員のアントニオ猪木さんの知名度が抜群なのは、プロレスの大スターだったからだが、1976年の、当時プロボクシング世界ヘビー級王者だったモハメド・アリとの異種格闘技戦は特に有名と思う。
その時のモハメド・アリは、単なるボクシング世界チャンピオンというだけでなく、人類的、地球的大スターだった。
ところで、この試合が真剣勝負だったのかというと、『1976年のアントニオ猪木』(柳澤健著。文藝春秋)では、そうであると書かれてあり、『大山倍達正伝』(小島一志 ・塚本佳子著。新潮社)では、ショーであったとしている。
いずれも、事実を正確に伝えるよう取材を重ねて書かれてあり、信憑性の高さが感じられたが、アリVS猪木戦では、違うことが書かれていて、私のような素人に判断がつくものではない。しかも、それぞれ、アリVS猪木戦が、真剣勝負であった、あるいは、ショーであったことを裏付ける、かなりのエビデンス(証拠)も示しているのだから、さらに判り難い。
ただ、あの試合は、世間では非常に不評であった・・・猪木はアリのパンチを防ぐため、寝転がって戦ったことが迫力がなかったのが、観戦者達には大いに不満であった。
そのことから考えると、この試合が真剣勝負であった可能性が高いと思えるのだ。
ショーとして行うなら、特に興行主の猪木さんは、ファンが満足する迫力ある試合になるよう計画したはずである。
ただ、アリが大物過ぎて、シナリオを作るのが難しく、最後まで完全な台本が出来なかった、あるいは、台本の明確な承認に至らなかったということも考えられる。
アリとしては、自分ほどの世界的スーパースターは、出るだけで良いと思っていたのかもしれない。
しかし、アリが猪木のローキックで脚にかなりの負傷を負い、アリは、その後訪問したイギリスで、エリザベス女王に脚の状態を心配されたことが、朝日新聞に載っていた。
ショーマッチで、そんなことが起こるとも考え難いが、実は、ショーであったはずが、猪木のキックがこれほどアリにダメージを与えることが想定外だったとも考えられる。
いかにショーであっても、観客に分かるような力の入っていないパンチやキックならバレてしまうので、ある程度は、力ある攻撃をするだろうからね。
1つの無責任な想像としては、この試合は、上で述べた通り、打ち合わせが完了せず、中途半端な状態、あるいは、お互いの理解に齟齬があることを知りながら、始まってしまった試合ではないかと思う。
戦っている当人達や、それぞれの陣営も、どんなことになるか、分からない部分がかなりあったのではと思うのだ。
『大山倍達正伝』では、アリ側は、レスラーとしては2流だが、本物の格闘家であるジーン・ラーベルをレフェリーにして、猪木が無茶をやり始めたら制止する準備をしていたらしい。
予定では、最後は、もっと和やかな雰囲気の中で引き分けでお茶を濁すつもりだったかもしれないが、予想外にヒートアップし、アリが、猪木さんを気遣ったのか、それとも、今後の自分のためを考えたのかのいずれかの理由で、試合後、非常に友好的な雰囲気を作ったようにも思える。儲かったのはアリで、アリの機嫌が悪いはずはない。しかし、猪木さんは、アリへの支払いのために、かなり無理したのは確かと思う。
いずれにしても、関係者ですら見解が分かれ、一概に何が起こったのかは語れないのではと思うのだ。
「パフォーマンス」という言葉が頻繁に使われるように、世界はますますパフォーマンス重視になっているが、それは、「見かけ重視」ということでもある。
もちろん、実質を伴ったパフォーマンスもあるが、世の中のほとんどのパフォーマンスは偽物である。
だが、偽物でも、楽しませてくれるものを人々は求め、「面白くない」「楽しくない」本物には見向きもしない。
それを自覚し、抗うことが必要だが、そのためには、なぜ、そうでないといけないのかを、しっかり意識しなければならないのである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
| 人気ランキング参加中です |
|
