成功者と言うと、事業で成功してお金持ちになったり、スポーツ選手やミュージシャンとして頂点、あるいは、それに近い位置に到達したり、政治家になって、大臣や知事になるような人達のことを言うのかもしれないが、それだけではないだろう。
これまでも、世の中にいて、これからはかなり増えそうな、こんな人達がいる。
50代以上のひきこもりが孤独死し、彼が過ごしてた部屋に入ると、物凄い数の、美少女フィギュアやアニメのブルーレイ、あるいは、アダルトDVD(やブルーレイ)が溢れている。
そこまでいかなくても、社会との交流のないまま中高年になり、不安に怯えながら暮している人は少なくない。
そうなるのは、大人になってからの要因もあるだろうが、その場合でも、本質的な原因は子供の時に心を歪めてしまったことだろう。
だが、本当なら、そうなるはずのひきこもり気質の者が、際立った成功はしないまでも、社会に参加し、人並にやっていたり、特に能力がある訳でもないのに、普通の人以上に良い思いをしている場合もあり、それを成功と言わず、なんと言おう。
ある成功した事業家は、ひきこもりが社会で立派にやっていることを、「運だけで成功した自分より、はるかに奇跡的な快挙」と言っていたものだ。
だが、どんな成功も、なぜ成功したかというと、運があったからだ。
もちろん、成功者が努力しなかったと言うのではないが、いかに努力をしようとも、運がないと駄目なのである。
成功したミュージシャンや、いい暮らしをしているひきこもりの裏に、同じくらい能力があり努力もした敗北者がいくらでもいるのである。
運を呼ぶには、人生が運に左右されることを認めること。
そして、自分が既に幸運であることを認めることが大切であることは、まず間違いない。
明石家さんまさんが「生きてるだけで丸儲け」と言ったらしいが、そこまで本当に思えるならかなりのもので、幸運にも恵まれるだろうが、少なくとも、「日本に生まれただけで丸儲け」くらいは思わないといけないだろう。
日本やアメリカでは、貧困層でもスマートフォンや、自動車すら所有している場合も少なくはなく、特にアメリカでは貧困者のほとんどが肥満している。
しかし、今は多少は変わってきているかもしれないが、少し前なら、世界の7割以上の人が電話機を使ったことすらなく、地球の半分以上の地域が戦争状態だったし、表面的な変化はあっても、今もそんなに変わらないはずだ。
つまり、世界中のかなりの割合の子供達が、いつ殺されても不思議ではないし、学校でボランティア団体から支給される給食を持って帰らないと家族が餓死してしまうような状況の地域がいくらでもある。言うまでもなく、毎日、大勢の人達が餓死しているし、数千人の町や村に医者が1人しかおらず、日本でなら何でもない病気や怪我で容易く命を落とすという場所も少なくはない。
そんな世界で、いくら不況になっても、新車が走り回り、穴の空いた靴を履いている者は(趣味でそんな靴を履く者は別にして)1人もおらず、まして、道端で倒れていたら大騒ぎしてもらえる日本に生まれたことは、まさに奇跡的な幸運に違いない。
別に、極端に不幸な世界の地域と比べなくても、誰もが相当な幸運を経験している。
斎藤一人さんの本に書かれていたが「自分が幸運である理由を言わないと斬首」と言われたら、皆、いくらでも言うのである(私なら、権力者に「斬首」と言われたら、反発して言いたくないという気持ちはあるが、実際にそうなったら、1日中でも言えるだろう)。
私は、子供の時から、アンデルセンの『マッチ売りの少女』のお話にとり憑かれている。
死んだマッチ売りの少女が発見された時、人々は「可哀想」と思う前に、極寒の中、あまりに惨めな薄着に、あまつさえ裸足であるのを見て、醜悪に思って目を背ける。
役人がやって来て、少女の遺体を袋に入れて教会に運ぶが、当時のことだ。教会もどうすることも出来ず、遺留品として少女が着ていた服をとりあえず保管し、身元不明のまま、寂しい墓地に埋葬するだろう。
時が流れ、その地域に、14歳くらいのある女学生がいた。
ごく普通の可愛い少女で、心優しく、困っている人を手助けする親切な子だが、どこか儚げである。
人を恨むことを極端に嫌ったが、ある日突然、恨みの権化となり、世に災いをもたらす。
「誰も助けてくれなかった」
少女は、7年前、世に見捨てられ、哀れに死んだが、女学生になることに憧れ、この世をさ迷い続けたマッチ売りの少女の魂が作り出した幻だった。
『地獄少女』を見ていたら、そんなことを考えてしまった。
やはり、我々は幸運なのである。
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これまでも、世の中にいて、これからはかなり増えそうな、こんな人達がいる。
50代以上のひきこもりが孤独死し、彼が過ごしてた部屋に入ると、物凄い数の、美少女フィギュアやアニメのブルーレイ、あるいは、アダルトDVD(やブルーレイ)が溢れている。
そこまでいかなくても、社会との交流のないまま中高年になり、不安に怯えながら暮している人は少なくない。
そうなるのは、大人になってからの要因もあるだろうが、その場合でも、本質的な原因は子供の時に心を歪めてしまったことだろう。
だが、本当なら、そうなるはずのひきこもり気質の者が、際立った成功はしないまでも、社会に参加し、人並にやっていたり、特に能力がある訳でもないのに、普通の人以上に良い思いをしている場合もあり、それを成功と言わず、なんと言おう。
ある成功した事業家は、ひきこもりが社会で立派にやっていることを、「運だけで成功した自分より、はるかに奇跡的な快挙」と言っていたものだ。
だが、どんな成功も、なぜ成功したかというと、運があったからだ。
もちろん、成功者が努力しなかったと言うのではないが、いかに努力をしようとも、運がないと駄目なのである。
成功したミュージシャンや、いい暮らしをしているひきこもりの裏に、同じくらい能力があり努力もした敗北者がいくらでもいるのである。
運を呼ぶには、人生が運に左右されることを認めること。
そして、自分が既に幸運であることを認めることが大切であることは、まず間違いない。
明石家さんまさんが「生きてるだけで丸儲け」と言ったらしいが、そこまで本当に思えるならかなりのもので、幸運にも恵まれるだろうが、少なくとも、「日本に生まれただけで丸儲け」くらいは思わないといけないだろう。
日本やアメリカでは、貧困層でもスマートフォンや、自動車すら所有している場合も少なくはなく、特にアメリカでは貧困者のほとんどが肥満している。
しかし、今は多少は変わってきているかもしれないが、少し前なら、世界の7割以上の人が電話機を使ったことすらなく、地球の半分以上の地域が戦争状態だったし、表面的な変化はあっても、今もそんなに変わらないはずだ。
つまり、世界中のかなりの割合の子供達が、いつ殺されても不思議ではないし、学校でボランティア団体から支給される給食を持って帰らないと家族が餓死してしまうような状況の地域がいくらでもある。言うまでもなく、毎日、大勢の人達が餓死しているし、数千人の町や村に医者が1人しかおらず、日本でなら何でもない病気や怪我で容易く命を落とすという場所も少なくはない。
そんな世界で、いくら不況になっても、新車が走り回り、穴の空いた靴を履いている者は(趣味でそんな靴を履く者は別にして)1人もおらず、まして、道端で倒れていたら大騒ぎしてもらえる日本に生まれたことは、まさに奇跡的な幸運に違いない。
別に、極端に不幸な世界の地域と比べなくても、誰もが相当な幸運を経験している。
斎藤一人さんの本に書かれていたが「自分が幸運である理由を言わないと斬首」と言われたら、皆、いくらでも言うのである(私なら、権力者に「斬首」と言われたら、反発して言いたくないという気持ちはあるが、実際にそうなったら、1日中でも言えるだろう)。
私は、子供の時から、アンデルセンの『マッチ売りの少女』のお話にとり憑かれている。
死んだマッチ売りの少女が発見された時、人々は「可哀想」と思う前に、極寒の中、あまりに惨めな薄着に、あまつさえ裸足であるのを見て、醜悪に思って目を背ける。
役人がやって来て、少女の遺体を袋に入れて教会に運ぶが、当時のことだ。教会もどうすることも出来ず、遺留品として少女が着ていた服をとりあえず保管し、身元不明のまま、寂しい墓地に埋葬するだろう。
時が流れ、その地域に、14歳くらいのある女学生がいた。
ごく普通の可愛い少女で、心優しく、困っている人を手助けする親切な子だが、どこか儚げである。
人を恨むことを極端に嫌ったが、ある日突然、恨みの権化となり、世に災いをもたらす。
「誰も助けてくれなかった」
少女は、7年前、世に見捨てられ、哀れに死んだが、女学生になることに憧れ、この世をさ迷い続けたマッチ売りの少女の魂が作り出した幻だった。
『地獄少女』を見ていたら、そんなことを考えてしまった。
やはり、我々は幸運なのである。
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それでも、どうしても、人間は他人と比べて「俺は不幸だぁ」ってなっちゃいますよね。
まして今はネットとか大自慢大会になっていますから。
他人と比べるのが人間の一番の不幸の一つと、みんな分かっているのに・・・
少なくともマジカルミライに行ける人は問答無用で超幸福ですよw
「ミクさん見えねぇー。もっと前がよかったー」それでも超幸福です。
みなさんが幸福なのは義務なんです。果たしてますかー?(冗談ですw