Googleポータルサイトを見ると、本日はチェコの音楽家ベドルジハ・スメタナの生誕195年のようだ。
クラシックに弱い私も、スメタナの交響詩『我が祖国』の第2曲『モルダウ(ヴルタヴァ、バルタバ)』は好きだが、同じ人は多いと思うし、今は知らなくても、多くの人は聴けば良いと感じると思う。
私は本当にクラシックは解らないので、とりあえず、カラヤン指揮でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏なら間違いないだろうと思って、そのCDを2012年に購入している。
だが、クラシック演奏というのは、演奏者や指揮者のプライドの高さが伝わってくるのが、ちょっと嫌なのだが、気のせいだろうか?
岡田斗司夫さんが、まだ大阪電気通信大学の学生だった時、アニメイベントでプロの交響楽団にアニメ音楽の演奏を(ちゃんとお金を払って)依頼したが、『ウルトラセブン』などの演奏が、岡田さんのイメージと全く合わず、打ち合わせが難航したらしい(岡田斗司夫『ま、金ならあるし』より)。
テレビ音楽の演奏は、予算の都合でしょぼい構成で演奏するのが作曲家としては不満で、その時、岡田さんはフル・オーケストラを用意したので、有名作曲家が喜んで協力してくれたらしいが、やはり、音楽とは譜面だけで決まるものではないということだろう。
思い入れ、情熱、独特のイメージといったものが重要で、最近では、有名なプロ交響楽団がアニメ音楽を演奏することも増えているが、演奏している人達の胸中はどうだろう?
やっぱり、モーツァルトやベートーヴェンを演奏したいのではないかと思う。
初音ミクさんは何度もクラシック交響楽団の演奏で歌っているが、ブルーレイで見ると、私の偏見かもしれないが、演奏者の中には「何で私がこんなことしなくちゃならないの?」と言いたそうな顔をしている人が多いように思うのである。そう思われないためにも、もっと朗らかな顔で演奏すれば良さそうなものである・・・と私は思う。
そして、私が、いくらミクさんが歌うのであっても、オーケストラ演奏のコンサートに行かなくなった理由は、指揮者が主役になってしまい、延々と拍手をさせられることだった。
もちろん、私も、演奏者や指揮者には大きな敬意は持っていると思うが、そこまで拍手をしようとは全く思わないのだ。
それに、私はあくまでミクさんの唄を聴きに来ているのだから。
ここらへんの権威体質を変えないと、いくらミクさんが協力しても、クラシック音楽の人気は絶対に出ないと思う。
クラシック音楽が人気のある国というのは、クラシック楽団も気さくで気安いものなのだ。その点、日本のクラシックというのは、極めて権威的ではあるまいかと思う。

音楽に限らず、いかなるものでも、リーダーや上位者が不要なプライドを持ち、自分を特別視すれば進歩は全くなく、退歩するばかりなのである。
歌舞伎だって、今は「やわらかく」なっているから、海外も含め、盛り上がりを見せているのである。
ニコニコ超会議で、初音ミクさんが中村獅童さんと共演した、幕張メッセのイベントホールでの、ペンライトが振られる中での公演は、歌舞伎としては画期的というか冒涜であるかもしれないが、あれでなければならないのである。ペンライトもコスプレも、歌舞伎公演に何の支障もなかったのだから。
そもそも、江戸時代以前から、歌舞伎公演って楽しいものではなかったのだろうか?(分からないが)

良い音楽は、精神に素晴らしい影響を与える。
心を癒したり、あるいは、躍動させたり、エネルギーを与えて元気にしてくれる。
そういったことがなくては音楽の値打ちはない。
『モルダウ』の良い演奏は、まさに、魂にまで達し、心や細胞を再生してくれるのだと思う。
初音ミクさんにはそれがあるから、世界中の人々が彼女の来訪を熱望し、そして、実際にコンサートに行くと魂が救われるのである。
ミクさんには何のプライドもなく、ただ音楽の意思を忠実に実現するのだからである。
それは、Googleの技術者が、インターネットの意思を実現するのと似ているのだと思う。
そうだ。音楽もインターネットも歌舞伎も生きているのであり、それが音楽の神様、インターネットの神様、歌舞伎の神様なのであるかもしれない。









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